正式呼称は「わとく」、浸透している読みは「わっとく」 なぜ? 青森・弘前市和徳地区の謎を解説

和徳町の成り立ちを話す今井理事長

 「和徳」の正式呼称は「わとく」、でも市民に浸透しているのは「わっとく」-。青森県弘前市の歴史に詳しい弘前文化財保存技術協会理事長の今井二三夫さん(75)がこのほど、弘前文化センターで講演し、現在の和徳町を多くの人が「わっとく」と呼ぶ理由を説明した。70年ほど前まで存在した和徳(わっとく)村の影響が大きいという。

 講演は和徳町の歴史を学ぼうと、地元グループ「和徳歴史探偵団」(三上隆博団長)が企画した。

 今井さんによると、「和徳」の地名が現れたのは室町時代。当時の津軽地域の村名が記された地図「津軽郡中名字(つがるぐんちゅうなあざ)」で現在の堅田地区周辺が「和徳村」と表記されていた。

 時代は下り、江戸期の1677年前後に弘前城の城下町として和徳村の一部が切り取られ「和徳町」が誕生した。読みは「わとくまち」。今井さんは当時の資料から「『わっとくむら』と『わとくまち』を使い分けていた」と推測する。なぜ呼び方が変わったかは「分からない」という。

 和徳村は1889年に現在の撫牛子(ないじょうし)や向外瀬(むかいとのせ)など9地区を合併。「わっとくむら」の呼び方が定着した。しかし和徳村は1936~55年にかけて段階的に縮小し、最終的に弘前市に合併され消滅した。和徳町の方は現在も残っており、呼び方は当然「わとくまち」ということになる。

 しかし「わっとく」の呼び方は今も根強い。講演会に参加した近隣住民14人のうち13人が普段から「わっとく」と呼んでいると答えた。地元・和徳小学校の校歌の歌詞に出てくる「和徳」を多くの子どもたちが「わっとく」と歌ってきた歴史もある。参加者は普段から「わっとく」と呼ぶ理由について「みんなが言っているから」「言いやすいから」と話す。講演を聴いた廣谷美弥子さん(66)は「これからは気を付けて『わとく』と言おうと思う」と笑った。

 今井さんは「農村部の和徳村と城下町として栄えた和徳町では生活に大きな差があった。それでも『わっとく』が定着したのは、長い年月をかけ親しまれてきたということだろう」と語った。

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