<8>繰り返す引っ越し 特別な2年 温かな記憶 希望って何ですか

小学校高学年の頃の樹さんが放課後に遊んだ県央の公園。ここで鬼ごっこやかくれんぼをしたことは鮮明に覚えている=2023年12月下旬

 飛行機を模した遊具があるから「飛行機公園」。放課後になると、そこで友達と鬼ごっこやかくれんぼをして遊んだ。

 「あの頃は楽しかった」

 昨年12月上旬。日光市内の子どもの居場所「あそびのにわ」で週2回、自立に向けたトレーニングとして活動する県北在住、樹(いつき)さん(20)=仮名=が大切な思い出を慈しむように語り出した。

 10年前。小学4年生の途中から約2年間、県央の小学校に通っていたときのこと。楽しい記憶が多く、よどみなく思い出せる。「心から友達と言える」存在もできた。

 担任の先生が樹さんら児童の良い部分を見つけては紙に書いてくれ、連絡帳に挟んで家に持ち帰った。母親に渡すと、読んでから先生への返信を書いてくれた。クラスメートについて樹さんに聞いてくることもあった。

 やりとりは時間にして2、3分。わずかでも、樹さんが母親と温かな時間を共有できる、数少ない機会だった。

    ◇  ◇

 父と母、姉と妹3人、弟の8人家族で育った樹さん。

 父は不安定な非正規労働者で、職場が頻繁に変わり、一家で引っ越しを繰り返した。わずか3カ月で再び引っ越したこともある。

 お金がかかるため業者には頼まず、毎回ワゴン車1台で引っ越した。積み込める荷物に限りがあるため、家にある生活用品は必要最小限。テレビさえ無かった。食事におかずがなく、白米だけの食卓がしばらく続いたこともあった。

 転校も繰り返した。樹さんが通った小学校は県内外の6校に及ぶ。転校があまりに頻繁で記憶はあいまい。名前さえ思い出せない学校もある。

 でもそれが、樹さんにとっての普通。

 「当たり前すぎて、何とも思っていなかった」

 おぼろげな記憶の中で唯一、はっきりと覚えているのが、県央の小学校で過ごした2年間のこと。

 最も長く在籍したことや楽しかったこと、高学年に差し掛かる頃だったことももちろんだが、何より、母親とコミュニケーションをとれていたことがうれしかったから。

    ◇  ◇

 小学校の卒業が迫った頃。認知症の祖母の介護が必要となり、樹さんは県北にある父親の実家に引っ越すことになった。

 転入先の学校は同級生が10人ほどしかいない小規模校。「できあがった関係に入り込む余地はない」と感じた。

 変わったことは他にもあった。樹さんが、母親と関わる時間がなくなっていった。

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