備中倉敷学 174回「鬼ノ城と桃太郎伝説」(令和5年12月14日開催)~ 鬼ノ城だけじゃない!桃太郎伝説に込められた吉備の歴史と人々の想いを学ぶ

「「桃太郎伝説」の生まれたまち おかやま ~古代吉備の遺産が誘う鬼退治の物語~」が日本遺産に登録されたこともあって、温羅(うら)が全国に知られる存在となってきました。同時に、桃太郎の「侵略者」説がささやかれたりもします。

日本遺産の「桃太郎伝説」は、27もの文化財で構成されています。鬼ノ城(きのじょう)、楯築(たてつき)遺跡吉備津神社御釜殿(おかまでん)、そして温羅退治伝説が書かれた吉備津宮勧進帳(きびつぐうかんじんちょう)や桃の種までさまざまです。

備中倉敷学」の令和5年12月講演会として、極楽寺住職 武田恭彰(たけだ やすあき)氏による「鬼ノ城と桃太郎伝説」が開催されました。副題は、「「吉備津彦の温羅退治伝説」に込められた吉備の歴史と人々の想い」です。

踊りを軸として開催される祭り「うらじゃ」は、若人のエネルギーが爆発する岡山を代表する夏の風物詩です。そこには吉備の歴史と人々の想いが詰まっているのかもしれません。そう感じさせてくれたお話を紹介します。

備中倉敷学とは

「備中倉敷学」は、倉敷の重要伝統的建造物群保存地区周辺の関係者により、地域の歴史・文化などを学ぶ会を目指して発足しました。

毎月第2木曜日午後2時から講演会を開催しています。広く一般のかたも事前申し込みが必要なく無料で参加できます。

第2木曜日でないときもあり。

平成17年(2005年)から令和2年(2020年)まで170回もの講演会を開催しました。コロナ禍で中断していましたが、令和5年(2023年)9月に再開しました。今回が再開4回目となります。

講演会開催会場と参加者

講演会は毎回、倉敷美観地区にある倉敷公民館で開催されています。

倉敷公民館は浦辺鎮太郎(うらべ しずたろう)氏による設計です。昭和44年(1969年)に建てられました。その外壁は、白壁と小さな窓、倉敷格子、貼瓦などで伝統的な町並みが意識されています。

倉敷公民館のエントランス正面の階段を上ると、固定席387席の大ホールがありました。そこではすでに100名近い聴講者が開演を待っていました。

武田恭彰講師

講師である武田恭彰さんは、矢掛町にある真言宗極楽寺のご住職です。また、同時に、考古学の専門家でもあります。

岡山市や総社市に長年勤務し、数多くの遺跡発掘調査に携わってきました。学術的な調査によって史実に迫ってきたわけです。

文化財活用の必要性が声高らかに唱えられる昨今は、観光プロジェクトも担当してきました。

講演の内容

「桃太郎伝説」の日本遺産登録にもかかわった武田さんの講演内容を、ほんの一部ですが紹介します。

桃太郎について

「桃太郎は鉄が欲しくて吉備に来たんです」

講演は、いきなりの「つかみ」文句で始まりました。

続けて、「総社市奥坂の千引(せんびき)カナクロ遺跡製鉄所が見つかったのです。それは、日本最古だとわかりました。

古い書物に、大和朝廷の吉備津彦命(きびつひこのみこと)が吉備を攻めた記録が残っています。

要するに、吉備の鉄を欲した大和朝廷が桃太郎の正体です」

武田さんは、史実と伝説の接点を説明します。こうしたはなしが、桃太郎「侵略者」説の根拠となったようです。

「吉備の人々には、大和に鉄を奪われた、との想いがずっと心の底に残ったことでしょう。

そしてこの想いが、後々の桃太郎伝説誕生へとつながっていきます」

鬼ノ城について

石垣づくりの技術は古代に発達しますが、その後戦国時代末期まで忘れ去られます。

古代に構築された高石垣を見上げた中世の人々は、その異様な姿に畏敬の念を抱いたことでしょう。

理解できないことを鬼のしわざと考えた人々は、その山を「鬼が構え」と呼びました」

学術調査の結果と、日本人の心を巧みにくみ取った説明が続きます。

温羅伝説について

妹尾兼康(せのお かねやす)は、源平合戦で木曾義仲(きそ よしなか)に首をはねられました。その妹尾の首が発掘され、文献史学の正しさが確認されました」

発掘場所は吉備津神社御釜殿の北西300mくらいです。

「妹尾は、湛井堰(たたいぜき)をつくり、十二ヶ郷用水を引く神業(人知を超えた鬼の業)を成し遂げました。妹尾を慕う民の想いが、温羅の鳴釜伝説につながります」

こうした話に、神仏習合や、「縁起」創作流行などの時代背景を織り交ぜて説明してくれました。

歴史の楽しみ方

武田さんは、「歴史の楽しみ方は人それぞれ」だけれども、「正しい事実を正しく後の時代に伝えていくことが重要」と力説します。

「楽しいロマンのある話と史実は、区別しなければならない」とも。

身近な考古学の話題

岡山市北区にある千足(せんぞく)古墳は復元整備工事が完了しました。続いて、隣接する造山(つくりやま)古墳の復元整備工事が始まっています。

総社市上林の備中国分尼寺跡では、「「吉備路の歴史遺産」魅力発信事業」が進められています。

倉敷市矢部の楯築遺跡では、景観回復のために、遺跡の一角に建っている冷水塔撤去の方針が示されました。

現在、武田さんが取り組まれている矢掛町の毎戸(まいど)遺跡では、歴史を覆すような発見が続いているそうです。

武田さんは、「歴史学は考古学と文献史学の融合」だと言います。

ロマンあふれる伝説を楽しむ心と、正しい歴史を知る喜びをバランス良く味わいたいものです。

おわりに

伝統的町並みに映えるモダンな公民館で、月に一度「備中倉敷学」が開催されています。

日本遺産「桃太郎伝説」の構成文化財は27です。今回のお話に登場したものは、その一部に過ぎません。

それでも、語り継がれる逸話には、多くの吉備の歴史と人々の想いが詰め込まれているのだと感じさせてくれました。

次回「備中倉敷学」の演題は、「神社の「いろは」」です。目からうろこの話が聞けるかもしれません。

令和6年1月11日(木)午後2時からで、無料で事前申し込みも必要ありません。足を運んでみてはいかがでしょうか。

© 一般社団法人はれとこ