能登半島地震発生から124時間後 記者が見た奇跡の救出劇 津波と液状化の傷跡は色濃く…

能登半島地震の被災地ではCBCの記者も取材を続けています。

1月6日から9日までの4日間、石川県珠洲市を中心に取材していた記者の前で、93歳の女性が自宅から救出されました。

地震発生から124時間後のことでした。

道路には亀裂があちこちで入り、壊れた住宅も…。

救出劇があったのは、その日の午後のことでした。

この日、福岡県警の第1機動隊の隊員らは、安否の分からない住民の情報を入手し、正午過ぎから1軒の2階建て住宅の捜索を行いました。

すると、午後4時ごろに1階部分で、がれきに足を挟まれた状態の93才の女性を発見。

女性は、かろうじて“うめき声”が出る状態だったといいます。

現場に駆けつけていた医師によると「手を握って下さい」と声をかけたところ、弱いながらも握ることができたそうです。

女性は点滴の投与などを受けながら救出を待ちました。

女性は自宅のベッドで休んでいる時に揺れが襲ってきたといいます。

病院を退院してから、まだ日も浅くベッドで静養している時に、がれきの下敷きとなったのです。

隙間は、わずか数十センチだったといいます。

そして午後8時20分過ぎ、地震発生から約124時間後「奇跡の救出」となりました。

(報告:矢野司記者)
「救助された女性が救急車の中に運ばれていくとみられます」

人命救助のタイムリミットの目安は72時間とされています。

それをはるかに超えての救出は非常に珍しく、女性の救出は多くの避難者たちにとっても希望の光が灯った知らせとなりました。

(救出された女性の長男)
「余震が続く中で、倒壊した家の中へ入って作業していただいたので、命がけで助けてもらったので感謝しかないです。心から」

女性が助かった要因には、がれきの中に体が入る隙間があったことと、雨水を口にできたこと。

そして、現場にいた皆で「がんばって」と励まし続けたこともありました。

女性は翌朝には会話ができるようになったということです。

1月7日、取材陣は海辺の街・珠洲市三崎町に入りました。

津波研究が専門の中央大学の有川太郎教授の調査に同行しました。

1軒の住宅には津波で押し流された車が突っ込んでいました。

(家の住人)
「この車が流されてきたので(津波が)筒抜けにならなかった。他の家はみんな波で全部筒抜けになっていると思いますけど、津波で」

(中央大学 有川太郎教授)
「津波の高さは約4.5メートル。車や自動販売機が流されているので、相当な勢いの大きな津波が来たと思います」

続いて向かった宝立町鵜飼地区の海沿いには防潮堤がなく、津波が直撃して跡形もなくなってしまった住宅や地上に押し上げられたマンホールも。

(中央大学 有川太郎教授)
「マンホールとかも浮いているので液状化(現象)があったのではないか。海底の中で地滑りが起こって津波が起こるということも考えられる。(南海トラフ地震で)海底地滑りが、もしあるとすると陸地に近い所で(地震が)起こる可能性もある 。そういった危険性があるのかないのかを調べたい」

そして、地震発生から1週間が経った1月8日、七尾市内にある避難所となった小学校では、海上自衛隊が約10トンの水を運んでボイラーで湯を沸かし、一度に6人が入浴できる浴槽を用意していました。

(風呂に入る人)
「正月の(午後)4時に地震があったから、それ以来だね。こんなに早く風呂に入れるとは思わなかった」

入浴は1週間ぶりという避難者がほとんど。

この日も降りしきる雪、被災地では寒さとの闘いも続いています。

© CBCテレビ