備中国分尼寺跡 南門礎石を確認 総社、基壇端も 規模把握に期待

備中国分尼寺の南門跡から出土した礎石=2023年12月25日

 岡山県古代吉備文化財センターが初の発掘調査に取り組む備中国分尼寺跡(総社市上林、国史跡)で10日までに、表玄関に当たる南門の礎石と基壇(土台)の西端が確認された。建立当時の門の規模や構造の把握につながるといい、同センターは「全国的に調査例が少ない国分尼寺の実像に迫る重要な成果」としている。

 礎石は、南門の西端推定地に設けた試掘溝から奈良期の2基が瓦片とともに出土。地表に露出した同時期の1基と合わせ、約3メートル間隔で南北一列に並んでいたことが分かった。礎石の約2メートル西側では、もとの地盤に土を盛って固めた基壇の端を検出した。

 同センターの松尾佳子総括副参事によると、同寺は、建物の大半が南北一列に並んでいたとされ、その中心線を軸に推計すると、計12本の柱に支えられた幅12メートル、奥行き9メートル程度の瓦葺(ぶ)きの門が浮かび上がるという。「国分寺に比べれば一回り小さいが、豪華で堅牢(けんろう)な構造。遺構の残り具合がここまで良いのも珍しいのではないか」としている。

 さらに、寺域を囲んでいた土塁状の築地塀(ついじべい)跡では、一部を断ち切る形で掘り下げ、幅1.6メートルに及ぶ築造時の土塀と基礎部分を確認。土塁状になったのは上部が崩落したためで、元々は凸形の分厚い“壁”が寺域を巡っていたとみられる。同センターは南門から続く中門や、尼僧が経を学んだ講堂に発掘範囲を広げ、本年度は2月まで調査を続ける予定。

 27日午前10時と午後1、3時からの計3回、現地説明会を開く。希望者は15~26日に同センター(080―1926―7537)へ申し込む。

 備中国分尼寺 奈良期の741(天平13)年に聖武天皇の命を受け全国約60カ所に国分寺とセットで建てられた国分尼寺の一つ。築地塀で囲まれたおよそ東西108メートル、南北216メートルの寺域に南門、中門、金堂、講堂などがあったとされる。南北朝期の戦火で焼失したと伝わり、跡地は1922年に国史跡に指定。建物の礎石や築地塀の一部が残るが、寺域や建物の性格、規模など不明確な部分も多い。これらの解明を目的にした発掘調査は3年計画で、昨年10月にスタートした。

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