引っ越しと転校を繰り返した末、小学校の卒業を控えた時期に、県北にある父親の実家に一家で落ち着いた樹(いつき)さん(20)=仮名。直前まで通った県央の小学校にいた頃とは、母親や友達との関わり方が一変した。
樹さんは6人きょうだいの第2子。パート勤務することもあった母親は、祖母の介護に加え、それまで必要のなかった妹や弟の送迎をはじめとした子育てに忙殺され、働くことはおろか樹さんと関わる時間がなくなっていった。
県央の小学校に通いながら、初めて「楽しい」と思える時間を過ごせていた樹さんは、新たな小学校の小規模で人間関係が固定された雰囲気になじめずにいた。学校に行こうとしなくなり、父親が手を上げてくることもあった。
いつしか、家にも学校にも居場所を見つけられなくなった。やる気がわかず、一日の大半をベッドの上で過ごすようになった。
「転生したい」
何かに生まれ変わりたいという思いさえ、募らすようになった。
◇ ◇
中学生になっても、樹さんの不登校は続いた。その頃、日光市内のNPO法人「だいじょうぶ」が運営する母子の居場所「ひだまり」で支援を受けるようになった。
ひだまりにいても、何もせず寝転がっているだけのときもあった。でも「何かを強いられることがないのが心地よい」と感じ、利用を続けた。
樹さんに長年関わり続けている、だいじょうぶの職員金井聡(かないさとし)さん(47)が当時の様子を振り返る。
「生きる意志がない感じで、抜け殻のようだった」
中学3年生の秋。樹さんはついには「ひだまり」にさえ行くことができなくなり、自宅に引きこもった。
なんとかしたいと考えた金井さん。読書好きという共通点を見つけ、古書店に行くことを口実に週1回、樹さんを外へ誘い出した。
本を購入した後、ファミリーレストランに立ち寄り、一緒に読んで過ごした。樹さんに合わせた特別な支援は、中学校を卒業するまで続いた。
◇ ◇
しかし、樹さんの状況はなかなか好転せず、中学校は登校できないまま終えた。それでもなんとか、県北の県立高校に進学した。
母親と一緒に制服を採寸して購入し、教科書代も出してもらった。苦しい家計をやりくりして捻出してくれたことへの感謝。同時に、家の事情が分かる分、「罪悪感があった。だから頑張ったんだけど…」。
入学から2カ月ほどで、高校にも通えなくなった。