能登地震「被害は想像以上」 緊急援助隊で出動の田辺市消防、現場で苦悩も「助けになると信じて活動」、和歌山

和歌山県緊急消防援助隊が徒歩で道路の損壊状況を確認した(4日、輪島市で)=和歌山県田辺市消防本部提供

 能登半島地震の被災地に和歌山県緊急消防援助隊の第1陣で出動した田辺市消防本部の松葉和彦警防課長(52)が紀伊民報の取材に答えた。「過去の震災時の出動経験から、ある程度の被害を想像して現地に向かったが、被害はひどいもので、見た建物の9割近くが損傷していた」と振り返った。

 第1陣の隊員142人は2~4日、石川県内で被災者の転院搬送などをした。松葉課長ら紀南の隊員は1日に新宮市消防本部に集合し、2日朝に拠点とする金沢競馬場(金沢市)に到着。他県の救急隊と協力して志賀町の富来病院から金沢市内の病院へ28人を搬送した。富来病院到着時は余震が続いており、周辺には土砂でふさがれた道路もあったが、どうにか陸路で到達できたという。

■移動も困難に

 3日は金沢市から穴水町、能登町へと、拠点を北に移しながら待機。移動中には、緊急地震速報を受けて車両を停止させることもあった。松葉課長は「道路が損壊し、現地の情報を集めることが難しい状況だった。情報がないため指示が降りてこず、待機が多くなった」と話す。

 4日はヘリコプターで輪島市の内陸部に向かい、徒歩で現地の道路状況などを調査した。多くの建物が倒壊し、電話もつながらなかったため、衛星電話で連絡を取った。

 避難所には被災者が集まっていた。何もできないもどかしさを感じながらも「全体の救助活動の助けになる」と信じて調査を続けた。

 第1陣は5日に県に戻った。その後は2陣と3陣が入れ替わりながら石川県を訪れ、輪島市で生き埋めになった被災者の救助活動などを続けた後、山梨県の緊急消防援助隊に活動を引き継いだ。

 松葉課長は「倒壊家屋から逃げ遅れた人や、土砂に生き埋めになった人が残っている。一刻も早く救出できればよい」と話した。

第1陣で石川県に向かった松葉和彦警防課長(和歌山県田辺市新庄町で)

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