神奈川の発展を支えてきた「横浜臨港貨物線」を巡る 鉄道による貨物輸送に復活の兆しも

「汽車道」の上空を、2021(令和3)年に開業した都市型ロープウェイの「YOKOHAMA AIR CABIN」が行く

 桜木町駅から先へも足を運んでみよう。桜木町駅の海側の駅前広場が、かつて存在した東横浜貨物駅跡であることは、「東急東横線と桜木町駅周辺の鉄道遺構」(2023年12月29日公開)に記した通りである。

 東横浜駅から新港埠頭へ向かう税関線(1987年に廃止)の廃線跡は、現在「汽車道」として整備されており、多くの人々が行き交っている。新港埠頭内の赤レンガパークには、かつて海外渡航者向けの旅客列車「ボート・トレイン」(東京―横浜港間)が発着した旧横浜港駅のプラットホームが復元・保存されており、人々の憩いの場になっている。

 山下臨港線プロムナード。山下臨港線の建設時、線路が山下公園内を突っ切ることに関しては、景観を損ねるとしてかなりの物議を醸したという新港埠頭から山下埠頭方面へは、山下臨港線(1986年に廃止)廃線跡の高架構造を活用した「山下臨港線プロムナード」が遊歩道として整備されているが、山下公園内の高架は2000(平成12)年までに撤去されたため、高架は公園手前で途切れている。山下臨港線の痕跡がどこかに残っていないか探してみると、山下公園の東側、埠頭入口部分の道路を横切るように、レールがわずかに残っていた。

 最後に、少し離れているが本牧市民公園へも足を運んでみる。公園の一角に蒸気機関車D51形(デゴイチ)516号車が保存されており、その説明板には「516号車は、昭和16(1941)年、当時の鉄道省大宮工場で製造され大宮機関区に配置されました。東北本線などで活躍し、その後昭和44(1969)年、新鶴見機関区に配置され、昭和45(1970)年11月28日に廃車となりました」とある。

 この説明文だけだと分からないが、この516号車も高島線と関係がある。横浜の鉄道・市電研究で知られる故・長谷川弘和氏のレポート「横浜港の貨物線ものがたり」(「鉄道ピクトリアル」1997年3月掲載)によれば、516号車は「臨港貨物線で活躍していた」という。

 おそらく、新鶴見機関区配置後、1970(昭和45)年10月に高島線が電化され、蒸気機関車の運用が廃止されるまで貨物列車を引いていたのであろう。高島線は首都圏で最後まで蒸気機関車が運転されていた路線だが、その電化により活躍の場を失い、11月に廃車になったものと推測される。なお、516号車の脇には、横浜機関区で実際に使われていた転車台(ターンテーブル)も保存されている。

 さて、今回は横浜の貨物線廃線跡を見てきた。鉄道による貨物輸送は1970(昭和45)年頃をピークに、その後は斜陽化した。だが、ここに来て鉄道による貨物輸送復活の兆しがある。近年、二酸化炭素(CO2)排出量削減の世界的潮流であるカーボンニュートラルの動きや、トラックドライバーの担い手不足、またトラックドライバーの時間外労働時間の上限が年間960時間に制限される「物流の2024年問題」などの観点から、モーダルシフト(環境負荷の小さな輸送手段への転換)の機運が高まっているのだ。

 ただし、こうした動きを手放しでは喜べない事情もある。激甚化している自然災害により、貨物列車の主要線区が長期間、不通になる問題などへの対応が迫られており、トラック・船舶等による代替輸送をいかにスムーズに行えるかが課題となっている。結局のところ、陸海空の各輸送モードが互いの弱点を補い合うことで共存していく「モーダルコンビネーション」の考え方を推し進めていく以外に、問題を克服する道はない。

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