元TBSアナ伊東楓、3年ぶりに日本で個展開催「世界で戦う覚悟ができた私を見せる」

ドイツを拠点に活動中の伊東楓さん

元TBSのアナウンサーで、現在はドイツを拠点に画家として活動している伊東楓さん(30)が1月16日から日本で3年ぶりに個展を開催する。絵を描くことに専念するためにTBSを退社して丸3年。「ずっと、自分のことを画家と呼ぶ自信がありませんでしたが、言語や過去の経歴が通用しないドイツで実力だけで勝負し、自信がつきました。今回、日本で個展を開くことを決意したのは、世の中に今の自分を見せたいと思ったからかな……」と語る伊東さんに、ドイツでの活動や個展開催への思い、そして画家としての今後の抱負を聞いた。

「自分のことをちゃんと画家って呼べるようになったのは、ユニクロとのコラボをやり終えてからです。それまでは、私は独学で絵を描いてきた人間で、学校できちんと学んできていないという負い目のようなものがあって、画家と言っていいのだろうかと躊躇していました。ですが、ユニクロとの仕事は、私のそんな不安を吹き飛ばしてくれたんです」

自ら“飛び込み営業”を敢行。ベルリンのユニクログローバル旗艦店とのコラボレーションを実現させた。

「最初、私が一人で、共に仕事をしたいと乗り込んだとき、現地スタッフは私が誰か知らないわけで。アナウンサーだったとか、個展の評判とか何もわからないのに、私が持参した原画を見て、コラボしてもいいと言ってくれました。彼らは、『楓の絵の特徴はここだから、そこを推していきたい』ってきちんと言葉にして伝えてくれるんです。芸術家に対するリスペクトがすごいし、画家の魅力を活かしてくれるところがとてもやりやすかったですね」

伊東さんの絵がプリントされたTシャツやトートバッグはベストセラーに。

「現地の人に自分の作品が評価されたという事実は、大きな自信になって。『私は、絵で生きていく人間なんだ』と初めて確信しました」

子供のころから絵を描くことが好きで、大学時代には似顔絵師の資格を取得。アナウンサー時代には、即興で似顔絵を描く番組でその実力を披露したことも。

「あるとき番組で、即興で似顔絵を描くという仕事を任されて。ちゃんと描けるようにしておかなきゃと思って練習を始めたことが今に繋がっている感じです。人物画も、顔をメインに描くことが多い。おそらく、表情を描くのが好きなんでしょうね」

馬や虎などの動物を描いた作品も多いが、その理由は?

「女性を描くのも好きで、今回の個展にも数枚出展する予定ですが、基本、特定なものを連想させるものではないほうがいいのかなと思っています。私は、反骨精神が半端ないとき、虎を描くことが多くて。きっと、『強くなれ、私!』って自分に言い聞かせているんです。あと、最近は鷲をモチーフにすることも多いので、たぶん、今の私は、飛びたくて仕方ないんでしょうね(笑)。描いている動物は、自分だと思って描いているので、絵に自分の内面が現れるんだと思います」

孤独から解放されることは精神的には好ましいことだが、絵描きとしては、よいことだとは言い切れないとも。

「ネガティブな精神状態のときに描くと、いい絵になることが多いです。ドイツで辛かったときの絵は、誰が見てもいいって言っていただけるし、私自身もすごく気に入っています。絵を描き始める瞬間って衝動的というか、思い立つと描きたくて仕方なくて、寝る間も惜しんで描きます。1枚の絵を描き上げるのに数ヶ月から1年かかることもあります」

心血を注いで描かれた絵は、複製は作らず、原画を一点売りと決めている。それにはこんな思いが。

「1枚1枚、私が生きた瞬間を描いているから、本当は絵を売りたくないんですよ(笑)。ドイツでトラブルに苦しんでいるときに描いた絵、誰かに恋焦がれていたときに描いた絵、その一つ一つが大切な思い出だからこそ、複製は作らないし、原画も売りたくはない。でも、私よりも大事にしてくれそうな人がいたら、それは一期一会だから譲ります」

ファッションブランドとのコラボが多いのにも理由がある。

「絵の複製を作らないぶん、Tシャツであれば、皆さんがもっと気軽に日常の中で 私の絵の世界に触れられるのではないかと考えたからです。一時期、私はデザイナーのほうに進みたいのかな? と思ったこともありましたが、自信を持って自分は画家だと言えるようになって、自分が目指すところはそこではないと気づきました」

側から見たら順風満帆に見えるが、自身の生き方についてはどう考えているのだろうか?

「常にもがいていますよ(笑)。アナウンサー時代だってずっと迷走していたし、なんで私は、0点か100点のどちらかしか取れないんだろう? とずっと自分を責めていた時期もありました。今だって、めちゃくちゃ心が病んでいるときは、誰とも連絡を取らなくなっちゃいます(笑)。たぶん私は、人の2〜3倍のスピードで動いているので、一見とんとん拍子に見えるのかもしれないけれど、受ける負荷も大きいのだと思います」

このたび、東急プラザ銀座 ART GALLERYで開催される個展“サントリー ジャパニーズクラフトジン ROKU<六>/日常を旅するホテル 東急ステイ presents 伊東楓展「人は、いつまで夢を見ていられるのだろう」。そのタイトルに込められた思いを訊ねると、次のように語った。

「ドイツに住んで2年と3カ月ほどになりますが、今、自分が転換期に入っていることをすごく実感しています。前回の個展は、TBSを辞めた直後だったので、天井が見えないことへの喜びで、『私、どこまで飛べるんだろう!』という気持ちだけで走り始めたように思うんです。でも、実際ドイツで暮らし始め、いろんなトラブルに見舞われ、仕事で出会う人たちに揉まれ、たくさん悩んで自分の立ち位置を見失うこともありました。今回の個展は、そんな混沌としたこれまでの私がテーマになっていて、『もう、ダメな自分も見せちゃってもいいじゃん!』って思い立ったのが、個展開催のいちばんの動機です」

以前は、自分の弱さを見せることに抵抗があったという伊東さん。今では、ダメな自分も認めてあげてもいいと思えるようになり、「それも一つの成長なのかも」と微笑む。

「おそらく、一個抜けたんでしょうね。少し前までは、いつか日本に戻らなきゃいけないんだろうなとか、結婚もしなきゃとかいろんな迷いがあって、踏ん切りがつかなかったんです。でも、最近は画家として世界で戦う覚悟を決めたことで、逆に、住むところなんてどこでもいいような気がしてきました。『私がいるところが私の世界だ!』と思えるんですよ。おそらくそれは、こだわりとか、自分で自分を縛ってきたものを手放したおかげかもしれないです。今の私、最強かも。ちゃんと恋もしていますよ(笑)。」

今回の個展開催を決意したことで、自身がやるべきことも見えてきた。

「私は、外から日本を変える人なんだと思います。外に出ると、日本ってやっぱり島国で、変化するということに慣れていないことを痛切に感じるんです。もちろん、そういう日本だからこそ育まれてきたこともたくさんあるのですが、やはり中だけで終わらせていてはそれ以上の進歩はありません。育てたものをもっと外に発信していかなきゃいけない。私は、その役割を担う人間だと思っていて、もっと皆さんが素敵だと思う日本にしていきたいんです。今の若者って、希望がなかったり、人生、迷子になっていたりする人が多いから、そういう人たちの活力なる“刺激物”みたいな人になりたいなあ。」

また、令和6年能登半島地震によって、多大な被害を受けた故郷の富山県のために復興活動もスタートさせる。

「私は富山県高岡市の出身で、実は、地震が発生した時は実家に帰省中でした。甚大な被害を被った故郷のために、今の私ができることは何かを考えた結果、富山県酒造組合とともに復興活動を実施することになりました。もろみタンクの破損など復興の目処が立たない酒蔵のため、復興に込めた想いを絵に託して提供させていただき、復興支援ボトルを販売する予定です。この活動を通して多くの人の目に留まり、富山の日本酒をはじめ、北陸全土の素晴らしい産物や伝統工芸技術を知ってほしいと思っています」

© 株式会社光文社