小説=流氓=薄倖移民の痛恨歌=矢嶋健介 著=82

 山路は憤慨して、その場を去った。彼は次々と配られてくる戦勝ニュースを信じていた。同胞が抱いていた落胆や不安を覆す快い文面で、読んだ者は歓びに小躍りし、故もなく戦勝組になっていた。勝ち戦を信じただけで心の満足が得られたし、それ自体、誰に迷惑をかけることでもない。ここ二ヵ月の間に戦勝を信ずる者の数は膨れ上がった。この事実に同調しない奴はどうかしている。カラムルー植民地の連中は腰抜けばかりだ。こんな所でぼやぼやしていたのでは自分の大義名分は発揮できない。そう考えた山路は植民地を捨てて町へでた。戦勝組の集まる木賃宿の松原食堂に逗留した。
 山路はそこで、勝組によって組織された《臣道連盟》の存在を知らされた。山路は早速その一員となり《カラムルー支部》という植民地の名を使い、架空の人物を同志として記入し、意気高揚たるものがあった。さらに強大な組織とされるマリリア組とも合併した。
 そこにはリオ・デ・ジャネイロの赤十字社、スイスの権益部から入ったというニュースが山積みしており、それをさらに同胞が喜びそうな文面に改稿して各支部へ発送した。幹部の連中は、自分たちの記事が同胞を雀躍させていることに、満足と優越感をもっていた。
 同じ頃、同胞の重大な関心の一つに、東南アジアへの再移住があった。日本は戦争で東南アジアの広大な土地を手中にすることができた。敵性国であるブラジルに卑屈な思いで生きるより、日章旗の翻る南洋方面の生活がどれほど肩身が広いことか。
 亜熱帯での労働に慣れ、経験豊富なブラジルの日本人を優先している。申し込み順に利便な分譲地が与えられる。引き揚げに際して日本円を希望する者はサンパウロの〇〇氏を尋ねるといい。
 ×月×日には日本政府の派遣する東南アジア向け再移住者の輸送船がリオ・デ・ジャネイロに入港する、と報じていた。この一連の話を捏造したのは、上海方面にだぶついていた莫大な旧円(不換紙幣)をブラジルへ持ち込んだ、或る為替業者の一味だったとの記録がある。
 この情報を知ったパラナ在住の某氏は、真っ先に財産を整理し、サンパウロ市内で、旧円とは知らず多額の日本円を求めてリオ・デ・ジャネイロ港へ向かった。が、定められた日に船は着かなかった。次の日から後続の数家族とともに、日ごと埠頭に立って海を見つめたが、天皇の艦船は現われなかった。国交が正常化していないし、円の売買や日本船の入港情報も極秘とされていて、移民たちは警察に訴えることもできなかった。

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