村上頌樹&山下舜平大に匹敵する飛躍!高卒3年目で巨人最多の12勝をマークした斎藤雅樹の年棒はいくら?【プロ野球妄想年俸】

プロ野球妄想年俸 斎藤雅樹編

第1回~プロ入り、大ブレイク編~

本サイトや雑誌「がっつり!プロ野球」(日本文芸社)でも好評を博した『球界のレジェンド、今なら年俸はいくら?』。かつて球界で大活躍した往年の名選手がもし、現在のプロ野球でプレーしていたら、その年俸はいかほどか……を勝手に想像するこの企画。

今回は1980年代後半~90年代に巨人のエースとして活躍した“平成”を代表する名投手・斎藤雅樹の『妄想年俸』を大胆予想!

高卒3年目でチーム最多の12勝をマークした斎藤雅樹

︎斎藤雅樹/読売ジャイアンツ

1982年ドラフト会議。埼玉県・川口高校の斎藤雅樹は巨人から1位指名を受ける。「高卒で巨人のドラ1」と聞くと超エリートを連想するかもしれないが、高校時代は甲子園出場経験はなし。当時の斎藤雅樹は、全国的には無名の投手だった。このドラフトでも、巨人は当初1位で甲子園のスターだった荒木大輔(早稲田実→ヤクルト)に入札。斎藤雅樹はいわゆる「外れ1位」での入団だ。

現在、NPBにおける新人選手の年俸上限は1600万円。ドラ1選手には上限いっぱいの年俸で入団する選手も多いが、斎藤雅樹の場合は高卒でなおかつ「外れ1位」。直近では2019年ドラフトで奥川恭伸(星稜→ヤクルト)、宮川哲(東芝→西武)の抽選を外した末に青森山田から入団した堀田賢慎がもっとも近いケースと言える。斎藤雅樹も堀田も、1位入札でその年の目玉だった甲子園のスター投手を外した末に、巨人に入団したという点が共通している。

堀田賢慎は契約金8000万円、年俸800万円(ともに推定)での入団だったため、斎藤雅樹の1年目妄想年俸もこれにならって800万円と設定してみよう。ちなみに、史実では斎藤雅樹の入団時の契約金は4000万円、年俸は260万円と報道されている。

プロ1年目は恵まれた野球センスから野手転向をすすめる声もあったが、藤田元司監督(当時)のアドバイスもあってサイドスローに転向する。とはいえ、1年目という言こともあってまずは二軍でじっくりと育成され、一軍デビューはお預け。当然、年俸は現状維持もしくは微減が現実的だろう。

晴れて一軍デビューを飾ったのはプロ2年目。この年、先発1試合を含む17試合に登板して4勝0敗、防御率3.07というまずまずの結果を残す。とはいえ、まだまだ一軍の「主力」と呼べる成績ではなく、現在であっても年俸は微増にとどまるはずだ。

斎藤雅樹が飛躍を遂げたのは、プロ3年目の1985年。阪神タイガースが球団初の日本一に輝き、日本中が虎フィーバーに沸いたこの年、斎藤雅樹は41試合登板(先発20試合)でチーム最多の12勝をマーク。防御率も2.96とタイトル争いを演じ、規定投球回にも到達。また、シーズン4完封はリーグ最多と、高卒3年目にして主戦クラスの働きを見せた。こうなると、年俸は一気に跳ね上がる。妄想年俸上では、1200万円→6000万円の400%アップとさせていただいた。今季大ブレイクした村上頌樹(阪神)が700万円→6000万円、高卒3年目で飛躍を遂げた山下舜平大(オリックス)が700万円→4000万円で契約を更改したことを考えれば、このアップ率はかなり現実的なラインではないだろうか。

ドラフト1位入団、高卒3年目で大ブレイク――。一流選手への階段を順当に歩んでいるように見えた斎藤雅樹。しかし、ここから数年間、まさかの“不遇の時代”を過ごすことになる。

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