長崎市被爆継承課学芸員・奥野さん 被爆遺構の役割を語る

被爆遺構の価値や役割について語る奥野学芸員=長崎市平野町、長崎原爆資料館

 「遺構は記憶を継承するための重要なツール」-。約15年にわたり被爆遺構の保存整備に取り組む長崎市被爆継承課の学芸員、奥野正太郎さん(38)は、被爆遺構の役割をそう語る。
 市の被爆資料は長年、市職員が調査、収集を担当。かつて被爆者の職員も多かったが、戦後世代が増え、原爆特有の知見を引き継ぐ専門職員の配置を求める声が高まり、2008年に採用されたのが奥野さんだった。15年から2人体制となり、2人目の学芸員となる後藤杏さん(26)が22年に加わった。
 奥野さんは同市出身の被爆3世。大学時代、日本中世史を専攻した。現在まで被爆者らの助言を受けながら市の原爆平和行政に携わる。被爆遺構の文化財登録でも、その価値を証明するための調査に奔走した。
 広島と比べて小規模な遺構が点在する長崎。公園として「空白地」である爆心地は遺構を考える上での基点であり、「点」を「面」で認識させる役割がある。長崎を訪れる人は爆心地に立ち、原子野のリアリティーを感じる。他の遺構からも距離や方向が分かり、被害が想像できる。「遺構だけでは『原爆でも助かる』と誤った印象を与えかねない。原爆の本質は『残らないこと』。爆心地はそれを理解させてくれる」
 残らなかった遺構もある。「残すかどうかは当時の生活と密接にリンクし、その時のベストの価値判断で否定はできない」。被爆校舎を残した市立城山小と、残さなかった市立山里小。「モノ」にかかわらず、熱心に平和学習を続ける。「形を失うと継承できないとまでは言えない。結論は何十年先にならないと出ない」
 一方で、市西部の稲佐地区は市立旧淵中などの遺構が消え、修学旅行生らの案内ルートから外れている。「あれだけの被害を出した場所なのに、体験を語るよすがになるものがない。遺構があることで記憶を寄せられ、語られ続ける」
 建造物の老朽化も進む。城山小のカラスザンショウのように、樹木は枯死しても保存処理が施せるが、建造物はできない。「建物の意味が理解されていないと、ただの古い物として壊されてしまう。物的証拠だけでなく、市民が価値を共有し、認識することが残す意味になる」。遺構の価値を伝える重要性を強調する。
 被爆資料や遺構を後世に伝える一人として、被爆者たちから学び、育ててもらった。それぞれが口にしていた「被爆者がいない時代」は既に実感を持って近づいている。「遺構とともに生きてきた被爆者にできるだけ話を聞き、遺構にどう役割を持たせるか、探求しなければいけない」

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