バスと電車と足で行くひろしま山日記 遠征編 金剛山(大阪府千早赤阪村・奈良県御所市)

鎌倉幕府は12世紀に日本の歴史上初めての武家政権として成立した。二度にわたるモンゴル軍の襲来を退けたものの衰退し、1333年に新田義貞によって滅ぼされて後醍醐天皇による建武中興に移行する。幕末の混乱期に河内国(現在の大阪府南東部)で蜂起し、幕府の大軍を引き付けて倒幕を成功に導いた功労者の一人が楠木正成(くすのきまさしげ ?- 1336)だ。2024年最初の山行は好天の1月2日、楠木正成の拠点の一つだった千早城跡を経て関西屈指の人気を誇る金剛山(1125メートル)に登った。

▼今回利用した交通機関 *時刻は休日ダイヤ
行き)金剛登山口まで車を利用(11:10着)
(*バスで同じ時間帯に到着するには、南海河内長野駅前10:30発金剛山ロープウェイ前行き南海バスに乗車、10:56金剛登山口で下車。以前は近鉄富田林駅からの直通バス便もあったが、運行主体の金剛自動車が2023年12月20日で事業廃止)
帰り)南海バス小深線(おとな片道530円)/金剛山ロープウェイ前(15:15)→(15:56)河内長野駅前
*河内長野駅以前・以降のルートは省略


「にっぽん百低山」を見て決定


関西で長く暮らしたが、当時は山登りにあまり興味がなかった。登山を趣味とするようになってからは、酒場詩人の吉田類さんが全国の低山を訪ね歩くNHK「にっぽん百低山」を楽しみにしている。2023年12月13日(水)午後0時20分から放送された「金剛山」編では毎日登山で17156回登頂(!)を達成した男性が登場。山上からの大阪平野の景色や山頂付近のブナの天然林を見て、ぜひこの山に登ってみたいと思った。

金剛山は葛木岳(かつらぎだけ 1125メートル)、湧出岳(ゆうしゅつだけ 1111.9メートル)、大日岳(1094メートル)の3峰からなる。「大阪の山」として知られており、メインの登山口も大阪府唯一の村・千早赤阪村にあるが、山頂は3峰とも奈良県御所市にあるからややこしい。

スタートは金剛登山口バス停。朝寝をしたのでここまで家族に車で送ってもらった。周辺は登山者向けの駐車場になっており、着いた時には既に満車。さすがは人気の山だ。最もポピュラーな千早本道を行くことにする。本来の登山口は少し戻ったところにあるのだが、ここは千早城跡を経由していくことにしよう。

金剛登山口バス停。午前11時10分時点で駐車場はほぼ満車

千早城跡の案内図

千早城跡への入り口


いきなり560段の石段


千早城跡への入り口はバス停のすぐ先にある。いきなり見上げるような石段だ。説明板によると約560段あるという。

登山者にとって石段は難敵だ。大体自分の歩幅と石段のサイズが合わないのでペースを乱されるうえ、傾斜のきつい直登ルートになっていることが多いからだ。

いきなりの急階段。心が折れそう

覚悟を決めて上り始める。正月にしては暖かいこともあり、あっという間に息が上がる。こういう時は心を無にしてひたすら足を運ぶに限る。15分ほどで標高差約120メートル、560段の石段を上り切り、「千早城址」の看板が立つ平坦部に出た。千早城の郭(四の丸)の跡で標高は630メートル。本丸跡(666メートル)は楠木正成・正行(まさつら)親子を祭神として祀る千早神社の神域になっているので立ち入ることはできない。

標高約600メートル付近。きつい石段が続く

「千早城址」の看板が立つ四の丸跡

1333年の千早城の戦いでは、楠木勢はわずか1000人ほどの小軍勢ながら、険しい地形(実感)を利用して石や丸太、熱湯などを崖から落としたり、人形を用いて奇襲に見せかけたり、夜討ち朝駆けをしたりするなど、様々な奇策を用いて幕府の大軍を翻弄。この間に新田義貞が鎌倉を攻略し、幕府を滅亡させた。幕府軍の猛攻に耐えて落城しなかったことなら、「落ちない」ご利益があるとして受験生や政治家に人気があるそうだ。

心静かに社殿にお参りする。2024年の初詣だ。

鎌倉幕府軍の猛攻に耐えた千早城址二の丸跡に立つことから、「落ちない」ご利益があるとされる千早神社


快適・安全な千早本道


参拝を終え、本丸跡を巻くように伸びる平坦な山道をたどる。明るい針葉樹林の中の気持ちよい道だ。10分ほどで左からの千早本道の登山道と合流した。

歩きやすい木段が整備された千早本道

ここからの登山道はほぼ全ルートにわたって木段が付けられている。他の山では、木段も石段と同様に「難敵」となることが多いのだが、千早本道は違う。一段の高さがほぼ丸太1本分しかなく、踏面も広くとってあるので段差を意識することなく快適に上ることができる。ボランティアの手で整備されているそうだが、ここまで子どもでも歩きやすく整備された登山道は知らない。

道標には「ほ-2」など位置を示す記号が付されており、万一の体調不良やけがをした場合でも救助隊が素早く駆け付けられるように工夫されている。

千早本道の標識

万一の時に救助隊に自分の位置を知らせることができる

快調に高度を稼ぐ。千早本道に合流してから20分ほどで五合目(約800メートル、トイレあり)、さらに10分で七合目(約920メートル)。ひっきりなしにすれ違う下山者との「こんにちは」の挨拶も楽しい。

これは怖い


ブナ林から眺望の山頂へ


八合目(約970メートル)の分岐を過ぎると周囲はブナの原生林に変わる。冬なので葉を落としているが、紅葉の季節は美しく、新緑の時期はさぞ気持ちがいいことだろう。大都会のすぐ近くでこの豊かな自然。関西のもう一方の人気の山・六甲山(https://hread.home-tv.co.jp/post-166096/)は、かつてほぼ全山が「はげ山」で、明治期以降の松の植林とその後の照葉樹への置き換わりで再生された森林が主体になっていることを考えると、よくぞ残っていたものだと思う。

八合目を過ぎるとブナの天然林が広がる

登山開始から約1時間20分、山上の広場に出た。回数登山で50回以上を達成した人の名札が掲示されており、番組にも登場した男性の名前は「壱萬七千回以上」と表記されている。次のランクが「壱萬二千回以上」の3人だから、ぶっちぎりのトップだ。

登山者でにぎわう山上広場

回数登山の上位ランキング者の名札が掲げられていた。トップは17000回オーバー

登山の回数を記録するスタンプの捺印所

山上は多くの登山者で大にぎわいだ。売店も開いている。気温はさすがに低く1度(温度計がある)。雪がそこここに残っており、登山者が作った小さな雪山もあった。南海バスの停留所の標識を流用した、麓の2つのバス停(金剛山ロープウェイ前・金剛登山口)の時刻表が設置されているのは親切。「注:のりばでは、ありません」と表示されているのには笑った。

気温は1度。暖かい正月だがさすがに山上は寒い

小さな雪山が作られていた

バス停のサインをそのまま使ったバスのダイヤ表。「のりばではありません」にクスリ

金剛山の1125メートルの最高地点(葛木岳)は葛木神社の神域になっていて立ち入ることができないため、北側の国見城跡(1080メートル)の広場が登山者にとっての「山頂」となっている。

登山者にとって実質的な山頂となる国見城跡

ここからの眺望は抜群だ。少しもやっていたのは残念だったが、眼下に大阪平野が広がり、梅田の高層ビル群や六甲山、北摂の山々、大阪湾まで見渡せる。

国見城跡から見た大阪平野。梅田の高層ビル街や六甲山も見える

ユニークなのは、山頂のライブ映像(http://www.kongozan.net/live/live_f.html)を配信していることだ。登山者の安全のために設置されている。ライブカメラに映る位置から携帯電話で連絡すれば、家族や知り合いに見てもらうこともできる。静止画の撮影タイミングで記念撮影をしているグループもいた。

山上の様子をリアルタイムで配信するライブカメラ

ライブカメラの映像。家族や知り合いに登頂を知らせることができる

豊臣秀吉が掘らせたといわれるひょうたん型のひさご池。水面は凍り付いていた


役行者開基の古刹と古社


金剛山の名前は、山上にある金剛山転法輪寺に由来する。日本古来の山岳宗教である修験道の開祖として尊崇されている役行者(えんのぎょうじゃ、役小角=えんのおづぬ)の開基と伝わる古刹で、かつては葛木神社のある場所に壮麗な堂宇を構えていたが、明治の廃仏毀釈で廃絶、昭和になって復興された。現在は真言宗醍醐派大本山となっている。

山名のもとになった金剛山転法輪寺本堂

国見場跡の広場で昼食を取った後、転法輪寺に向かった。境内の左手には豊臣秀吉が天正13年(1585)に金剛山に参拝した際に掘らせたというひさご池があった。秀吉の馬印の千成瓢箪をかたどった形をしており、凍り付いていた。石段を上った高台にある本堂に参拝し、坂を上って夫婦杉の横を通って葛木神社へ。一言だけ願いをすればかなうという一言主神を祀っている。由緒を記した看板によると、創建は約二千年前の崇神天皇の時代にさかのぼるのだそうだ。破魔矢とお守りを買い求めた。

夫婦杉

夫婦杉の根元に置かれた「夫婦」の石碑。内容はなかなか深い


下山はマイナールートへ


下山は上ってきた道を引き返すか、葛木神社から東の湧出岳方面に向かい、展望台のあるちはや園地から伏見峠を経て念仏坂を下るルートが一般的だ。スタートが遅かったこともあり、できるだけ早く下山したかったので最短距離で金剛山ロープウェイ前バス行に通じている妙見谷南側の尾根を下るマイナールートを選んだ。最初は歩きやすい道だったが、981メートル地点を過ぎたあたりから傾斜が急になり、杉の木の根を踏みながらの下りになる。谷に下りる直前は急坂の連続で、油断すると滑り落ちそうになる。慎重に歩を進め、舗装された伏見林道に下りた時には少しほっとした。

葛木神社。本殿は関西では珍しい大社造

木の根道の急坂を下る

林道を10分歩いて府道705号に合流すると、目の前が南海バスの金剛山ロープウェイ前バス停。10分ほどの余裕をもってバスに間に合い、明るいうちに帰途につくことができた。

15時15分発の南海河内長野駅前行きのバスに間に合った

2024.1.2(火)取材 《掲載されている情報は取材当時の内容です。ご了承ください》

ライター えむ
50代後半になってから本格的に山登りを始めて5年ほど、中四国の低山を中心に日帰りの山歩きを楽しんでいます。できるだけ公共交通機関を利用しますが、やむを得ない場合に時々レンタカーを使うことも。安全のためトレッキングポールは必ず携行。年齢のわりに歩くのは速い方です。
■連載コラムバスと電車と足で行くひろしま山日記

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