2023年は序盤から苦しい戦いを強いられた川崎フロンターレ。4月には15位に沈んだこともあった。
そうしたなかで、チーム内での序列を上げ、後半戦にはチームに欠かせない戦力となったのが加入2年目の瀬古樹だ。
2022年、スコットランドのセルティックへ移籍した同い年の旗手怜央と入れ替わる形で加入したMF。
大卒から2シーズンを過ごした前所属の横浜FCではキャプテンも務めた実力者だが、川崎での1年目はわずか13試合のリーグ戦出場にとどまった。
勝負の2年目を迎えた瀬古は、“川崎のサッカー”のなかで、自らの価値をどのようにして高めポジションを確立していったのか―。
Qolyによるインタビュー後編では、「納得できないこともあった」という川崎での日々を振り返り、「川崎のサッカーに染まる部分と染まらない部分」などについて具体的に聞いた。
「自分の可能性を見てくれていると感じた」川崎移籍
――瀬古選手はプロ3年目の2022年、川崎フロンターレ移籍を決断しました。川崎を選んだ理由はどういったところでしたか?
横浜FCが降格してしまい、チームを離れるか残るかという決断の時に、僕自身は2年間J1でプレーし、自信もありました。
自分の目指す将来的な目標を達成したいと思った時に、やっぱりJ1でやり続けたいという強い気持ちがあったので、チームを離れる決断をしました。
色々なクラブから声を掛けていただいたなか、フロンターレは当時J1を2連覇していましたし、最下位のチームに王者のチームからオファーをいただけたことに、ありがたさとともに自分の可能性を見てくれていると感じた部分もありました。
また、厳しい競争の中に飛び込みたいという気持ちがあったのも決め手の一つでした。
――移籍1年目の2022シーズン、リーグ戦出場は13試合でした。これだけ出られないのは正直想定外でしたか?
そうですね。あまり自分の中で思い描いていたようなシーズンではなかったです。
――なかなか出場機会を得られないなかでどういったことを考えていました?
チームも3連覇を目指している難しいシーズンではありました。
今の環境とは全く違うような状況がチームの雰囲気にもありましたし、目指しているところも大きさも違ったので、新しく入ってきた自分ができることもそうですが、「チームに染まろう」という気持ちが先行してしまっていた部分が自分の中にありました。
そこがなかなかうまくいかなかった要因かなというのと、逆に試合に出られていない時期には、やっぱりもっと自分のストロングや逆に足りない部分を磨こうと思って。フロンターレであれば「止めること」などの練習は常にやっていました。
――そうした時期、鬼木達監督とのコミュニケーションはうまくいっていました?
コミュニケーションは取っていましたけど、正直あまり納得はいっていなかったです。
――その辺りが反骨心につながった部分も?
選手なら試合に出たいのはもちろん当たり前なので、監督が求めていることプラス自分のやりたいことの中和というかそういうところが当時うまくいっていなかったと感じています。
受け入れることはもちろん100で受け入れていましたし、オニさんが言っていることに関して納得がいっていないとかそういうことでもありません。自分の現状に対して納得がいっていませんでした。
(鬼木監督と)話をしながら、自分のことを見てくれているのは分かっていました。
逆にどう自分がそれを気付かせるかと言ったらあれですけど、自分を使ってもらえるように取り組んでいくかというところに納得がいけてなかったので、そこを昨年(2022年)1年間は出し切ることができなかったなと今は思っています。
――川崎はボランチの選手がサイドバックで出場することが結構あります。そこに対する戸惑いみたいなところは?
複数ポジションができることに関してはすごくポジティブなことですし、僕も横浜FCの頃からサイドバックをやる機会は多々あったので戸惑いは全くなかったです。
ただ、自分のやりたいことはそうじゃないというのもあったのでそちらのほうが強かったですね。
「僕にしかできないことをやろうと思って入ったシーズン」
――2023シーズン、とくに序盤戦は厳しい戦いが続きました。シーズンの入りで足りなかったものは瀬古選手の中でどうとらえていました?
僕自身がシーズンの入りはあまり試合に出てなかったので、足りなかったことと言われてもなかなか分からないんですが、僕が試合に出るようになってから意識し始めたというか、足りていなかったんじゃないかと思ったのはやはり勝利に対する欲。そしてシンプルに合わせる作業です。そういうところかなと思います。
――瀬古選手が先発するようになった4月後半の浦和レッズ戦(1-1)やアビスパ福岡戦(3-1)あたりから、チームとしても変化があったように感じていました。オンザボールでもオフザボールでも瀬古選手のチャレンジングな姿勢というか、前へ進む力がチーム全体の力になっていたと思います。瀬古選手自身が意識していたことは?
いま言ってもらったように、前への意識というか、相手ありきのサッカーだと思うので「相手が嫌がるようなプレー」を選択していかなければいけません。自分たちのやりたいスタイルはあるかもしれないですが、それは結局、相手がいるから成り立つことです。
そういった意味では、自分たちも含め、逆に相手の立場になった時に「これをやられたら嫌だな」と思うようなプレーをどんどん増やしていく。それによって結果的に良い方向に進むんじゃないかとは思っていたのでそこは意識してやっていました。
――先ほどからの話にもある、川崎に染まる部分と染まらない部分。ご自身の中でその辺りは現状どのように整理されてきたと感じています?
今はそれこそ、自分の特徴を出しつつチームの色に染まれているかなと思っています。
僕にしかできないことをやろうと思って入ったシーズンでしたし、それがいい方向に進んでいます。脇坂選手にできないことが僕にできて、大島選手にできないことが僕にできて、橘田選手にできないことが僕にできる。
そういうことを考えてプレーするようになってから、自分の中でも良いリズムができて、チームに貢献できるようになってきました。それがうまくいっている一番の要因かなと思います。
――今の川崎のサッカーだと、中盤3枚はプレーエリアがすごく広く、役割も多岐にわたります。そのなかで気を付けていることはどんなところですか?
気を付けていることはあまりないですね。ただ、“つながり”の部分は気にかけてプレーしています。
アンカーの選手とつながること。サイドバックの選手とつながること。ウィングの選手やFW選手、逆のインサイドの選手とつながることに関しては意識しています。
――そうした役割、ポジションの面白さみたいものも感じています?
そうですね。もともと自分はボランチが多かったので、それよりも前に位置を取ってプレーすることが増えことにより、色々と新しい発見をしながらプレーしています。
ボランチとしては常に前を向いてプレーできていたので、ゴールに背を向けてボールを受けることも今まであまりありませんでした。そういった背負うプレーもできているので、新しい発見をどんどんしながら、まだまだ成長できると思います。そういう意味でのやりがいはすごく感じています。
「周りからの“刺激”は自分にとって一番のスパイス」
――7月にはドイツ王者バイエルン・ミュンヘンと対戦しました。川崎の中でも瀬古選手のプレーが目を引いた試合と個人的に感じているんですが、実際に対戦してみてどうでしたか?
やっぱり個人個人のスキルは高いなと思いました。ただ彼らはまだプレシーズンだったので、何もできないという風には思わなかったです。
なかなか対戦できる相手でもないですし、自分のやりたいことというか、せっかくのチャンスだからどんどんチャレンジしようと思っていたプレーがうまくいくシーンが多くて、自信にもつながりました。これが“正解”になっていけばいいなと思うような時間でしたね。
――夏に明治大時代ボランチで組んでいた安部柊斗選手がFC東京からベルギー1部のモレンベークへ移籍しました。海外への気持ちは?
もちろんあります。柊斗もそうですし、横浜FCで同期だった松尾(佑介)もベルギーにいます。さっき言っていただいたように森下(龍矢)や(三笘)薫は日本代表に選ばれています。
身の周りにいる選手たちの“刺激”というのは、自分にとって一番のスパイスなので、その辺は何か嬉しいような、悔しいような想いを常に持っています。
――そういった意味では、シーズン途中に加入した元フランス代表のバフェティンビ・ゴミス選手は非常に経験豊富な選手です。彼はどんな選手ですか?
「なんか、上手いな」と感じています。足もともそうですし、サッカーに対しての考え方もそうです。非常に謙虚ですし、やっぱりあれだけの経験をしている選手なので、ポジティブな声やチームを盛り上げる、モチベーションを上げるような声も掛けられます。
加入してくれて本当にまた新しい景色が見えているなとは僕は思います。
――川崎はACLを戦っていますが、ホーム&アウェイでのグループステージは瀬古選手も初めてだったと思います。マレーシア遠征はいかがでしたか?
2022年もジョホールには行っていて、ホテルや試合をするピッチも一緒でした。アウェイとして少しやったことのある環境だったのでそこまで違いは感じなかったです。
ただ、行ったり来たりの日程がどんどん過密になっていくのは初めての感覚なので、すごく楽しみながらやれています。
――試合のほうもなかなか厳しい試合でした。1-0で勝利できた要因は?
要因というか、しっかり準備はしていきました。ただ結果的にアウェイということに関しては変わりないですし、Jリーグでは感じ取れないようなアウェイの感覚だったので、結果を求めてプレーしていた部分が多かったです。
ああいった形でも得点が入って、しっかり相手の攻撃をゼロに抑えて勝つことができたのは非常にポジティブなことです。結果にこだわり続けるというところを僕はずっと意識しているので、アシストもできましたし、非常に大きい勝利でした。
要因は挙げづらいですが、全員の気持ちやチームとして整理されていることによって勝利につなげられたかなと思っています。
――川崎のサポーターもスタジアムの本当に一角でしたが、熱く応援していました。外国で目にするファン・サポーターの姿は国内とはまた何か違うものがあったりしますか?
サポーターの皆さんも時間やお金をかけて来てくれています。
あれだけ端っこのほうに追いやられているなかでも応援してくれているので、そういった気持ちに結果で応えたいという思いはありました。それが実現できて良かったです。
【インタビュー前編】川崎の主力に成長した瀬古樹の“原点”、三菱養和SCと「三笘薫と対戦した」明治大時代
川崎フロンターレの“心臓”と言える中盤はこの冬、ジョアン・シミッチが退団した一方、山本悠樹(ガンバ大阪)やゼ・ヒカルド(ゴイアス)といった即戦力が加入。
ポジション争いが激しさを増すなか、一つ上のレベルに到達した26歳の瀬古樹が新シーズンは周りとどのような“つながり”を見せてくれるか楽しみだ。