「消えろサル…」「このはげー」。SNS上で7歳の男の子に対する誹謗中傷がいくつも寄せられていた。
道化師様魚鱗癬とは…
三重県松阪市に住む小学1年生・濵口賀久くん(7)は、30万人に1人と言われる皮膚の難病・道化師様魚鱗癬と闘っている。
全身の皮膚が魚のウロコのように固くなり、剥がれ落ちる病。
病名の由来は、生まれた直後の姿がピエロの道化服に似ているからと言われている。
道化師様魚鱗癬は決してヒトにうつらない。
賀久くんは仮死状態で生まれ、手足の指の変形や癒着もある。
最も辛いのは、1日に何度も激しいかゆみに襲われることだ。
できることは肌が傷つかないようさすったり、感染症を防ぐため保湿したりするくらいで、根本的な治療法はない。
さらには硬い皮膚に覆われているため、汗をかくことができず、少しの運動で、発熱するなど日常生活を送る上での制約も多い。
病気を知ってもらうことから始まる
12月上旬、賀久くんの家を訪ねた。小学校から帰宅した賀久くん。
その第一声は「まずは、ぐうたら、ぐうたら…」
冗談を言って、まわりを笑わせるのが得意な男の子。
母・結衣さんは、息子の難病を多くの人に知ってもらおうと、生後6ヶ月の頃から日常生活をブログで配信している。
ブログのタイトルは「産まれてすぐピエロと呼ばれた息子」
稀な病気で知らないからこそ、相手に不安を与えてしまう。「うつるんじゃないか」など誤解を生む可能性もあり、不安だから、避けられたり、心ない言葉となって返ってきたりする恐れもある。
知ってもらうことで、息子は社会に受け入れてもらえるのでは…と両親は考えている。
ブログ配信以外にも、家族はCBCテレビのYouTubeチャンネルに出演。
配信された動画は100本以上、総再生回数は1億5000万回を超え、多くの人が道化師様魚鱗癬を知るきっかけになった。
しかし、2021年の秋ごろからSNS上で、励ましの言葉に混じって誹謗中傷の書き込みが急激に増えた。
心ない言葉との戦い 名誉毀損の疑いで男を逮捕 その後も…
父・陽平さんは「見知らぬ方から息子の容姿や、いろんなことに対して誹謗中傷を続ける方がいる」と不安を口にした。
誹謗中傷は文章の他、賀久くんの写真を加工したものなど1000件を超えた。
書き込んだのは同一人物とみられ、父親の陽平さんは警察に被害届を提出。
2022年3月、警察はSNSで賀久くんを誹謗中傷した男を名誉毀損の疑いで逮捕。裁判で懲役1年・執行猶予4年の判決が言い渡された。
その年の7月には、SNS上での誹謗中傷の対策として「侮辱罪」が厳罰化された。
しかし、その後も賀久くんへの誹謗中傷が止むことはなかった。
「吐き気止まんないわ」
「気持ち悪、バケモンやん。この世から消えろサルが」
目を背けたくなる文章が両親のブログのコメント欄にいくつも寄せられた。
父・陽平さんは再び警察に相談するも書き込みの数が少ないことや、個人を特定できないなどとして、警察が捜査に乗り出すことは無かった。
侮辱罪の罰が重くなっただけで、罪を問うハードルが下がったワケではなかった。
時間・金が家族には重くのしかかる
警察に頼れない中、父・陽平さんは民事裁判に訴えることに。
書き込んだ人物を特定するためにインターネット業者(プロバイダー)への個人情報の開示請求など手間も費用もかかった。
開示請求など書き込んだ人物を突き止めるためだけにかかった費用は45万円。
さらに損害賠償を求めて裁判となれば、訴訟費用もあわせ負担は100万円ほどに増える見込みだ。
「お金の問題ではなく、被害者が動くことで抑止力になれば…」と陽平さんは話す。
いまも書き込んだ人物との間で、訴訟を見据えた協議が続いている。
小学生になった今 誕生日は世田谷の街を初めて親子で散歩
2016年12月9日、賀久くんは生まれた。
両親の地元、三重での里帰り出産。生まれる瞬間まで賀久くんが道化師様魚鱗癬だとは分からず、誕生後、家族の生活は一変する。
もともと両親は東京に住んでいて、賀久くんが生まれた後は東京・世田谷区で生活する予定だった。
病気が分かり、陽平さんの勤務する会社の計らいで、東京から実家のある三重へ転勤・転居することになった。
NICUにいる賀久くんを三重に残し、自宅の引っ越し手続きのため、母・結衣さんは1人で東京へ戻った。涙を流しながら歩いて帰ったという。
あれから7年。2023年12月9日。賀久くんの誕生日当日は、家族3人で東京を訪問。生活する予定だった世田谷区の街を初めて親子で散歩した。
「毎日おふざけして、みんなを笑わせてくれて、ここまで立派に成長してくれた」と母・結衣さんは息子の成長を喜んだ。
(CBCテレビ報道部 原 誠)