機械式一眼レフ編 ニコンF [ニコンの系譜] Vol.01

一眼レフの完成形

1950年代は、一眼レフの技術革新の時代であった。もともと一眼レフは一般撮影には不便なところが多く、そのため拡大撮影や天体望遠鏡、顕微鏡などに取り付けて使う、学術写真向けのカメラとされていたのだが、1950年代に不便さを解決するいくつかの技術革新がなされ、一般向けのカメラとして十分に通用するような形に改良されたのだ。そしてそのような技術革新の完成形が、1959年に登場したニコンFと言えるだろう。

数々の技術革新の中で最も遅れたのは自動絞りであった。手動のプリセット絞りから始まってペンタックスKやトプコンRのような手動チャージ方式の半自動絞り、ミノルタSR2のようなフィルム巻き上げに連動してチャージする形式の半自動絞りと、紆余曲折して最終的に撮影時のみ設定絞りに絞り込まれ、それ以外は常に絞り開放でファインダーが明るいままとなる「完全自動絞り」にたどり着いたのが、ニコンFの前年に出たズノーである。ニコンFは更に完全自動絞りの機構を進歩させたものと言える。

精緻なからくり

ニコンFで完成した一眼レフの機構、特にクイックリターンミラー機構と自動絞り機構は、大変興味深いからくりになっている。シャッターボタンを押すと、

  • ミラーアップ機構のカギを外してミラーが上がり、
  • ミラーが上がりきったところでその情報をシャッターに伝えて露出をスタートさせ、
  • 露出が終わると、今度はその情報をミラーダウン機構に伝えてミラーをさげる。
  • その間、ミラー駆動のレバーの動きはレンズマウントを介して自動絞りレバーに伝えられ、ミラーアップと同時に絞り込み、ミラーダウンで開放に戻す。

という一連の動作を瞬時に実行するのだ、それも電池もモーターも使わず、動力はフィルム巻き上げに連動してチャージしたスプリングの力だけで!まさにからくりの極致といえるだろう。

ニコンFの場合、このミラー駆動の動力源として、ミラーボックス横に設置された安全ピンの親玉のような太い1本のばねで賄っている。そして完全自動絞りの方法も他社にくらべて合理的でスマートなものであった。

両連動の外付け露出計

ニコンFが他社の一眼レフに比べて特に秀でていたものに、シャッター速度と絞り値の両方に連動する「両連動」の外付け露出計がある。1950年代からカメラと露出計を連動させる工夫が始まった。レンズシャッターカメラの場合だとシャッターと絞りはすぐ近くに配置できるので両方に連動させることはたやすいのだが、フォーカルプレンシャッターのカメラではシャッターがボディに組み込まれ、絞り機構は交換レンズ側にあって位置的に大きく離れているので、そうはいかない。

ニッコールオートという名前の交換レンズには、すべて設定絞り値を露出計に伝える連動爪(俗に「カニ爪」と呼ばれている)がついていた

1954年のライカM3ではアクセサリーシューに取り付ける外付けの露出計を供給したが、これはシャッターダイヤルにのみ連動するもので、絞り値の方は露出計に表示された値を読み取ってレンズ側の絞りリングに設定する形式であった。その後日本のメーカーもそれに追随するのだが、みなシャッターダイヤルのみに連動する「片連動」のものだった。レンジファインダーカメラから一眼レフに代わっても、また外付けの露出計からカメラ内蔵になっても、この状況は続いたのだ。

それに対してニコンFは、最初からシャッターダイヤルと絞りに連動する露出計を見据えてシステムを構築した。ニッコールオートと名付けられたすべてのレンズについて絞りリングを最もボディに近い位置に配置し、露出計に設定絞り値を伝える、俗に「カニ爪」とか「カニのハサミ」と呼ばれる部品を設けたのだ。

そしてシャッターダイヤルの位置からボディ前面にかけて装着する外付けの露出計「ニコンメーター」を用意した。これは当時としては画期的なことで、他社が容易にはマネのできないものであった。実際に他社のフォーカルプレーン一眼レフはその後もほとんどのものが片連動のまま推移し、そのままTTL測光の時代を迎えることになる。

ニコンメーターを装着したところ 奥に見えるダイヤルでシャッターダイヤルに、手前に見えるスライドレバーでレンズの絞りリングに連動する
ニコンメーターのスライドレバーに設けられた連動ピン このピンが連動爪(カニ爪)に落ち込んで絞りリングと一緒に動く

モータードライブ

もう一つ、ニコンFのシステムを特徴づけたアクセサリーにモータードライブがある。ニコンはすでに1957年に出たレンジファインダーカメラS2EやSPでモータードライブの開発を経験している。それを一眼レフのニコンFにも応用したのだ。フィルム装填に裏蓋着脱方式を採用していたので、その交換裏蓋としてのアクセサリーだ。従って、フィルムを入れたままでは着脱できない。

また、モータードライブ(36枚撮りの通常のフィルムを用いるF-36と、250枚撮りのF-250の2種類があった)を使うにはボディに合わせた調整が必要で、ニコンのサービス窓口に持ち込んで調整作業をやってもらうことになる。従って各ボディ専用になり、他のボディで使うことはできない。まだまだモータードライブは使うには不便な存在だったのだ。

モータードライブF-36に単二電池ケースを装着したところ 電池ケースの上面にあるボタンでもシャッターレリーズやフィルム巻き上げを起動することが可能で、リモコンの役目をする

当初はモータードライブの主な用途としてリモートコントロールを考えていたようだ。シャッターレリーズと巻き上げを行うにはモータードライブ本体背面にあるボタンの他に、ケーブルで接続する電池ケースに設けられたボタンでもできるようになっていた。電池ケースに本体を接続するケーブルに長いものを使えば、それだけ離れたところから操作できるわけだ。あまり長いとケーブルの抵抗で電圧が低下するので、途中の中継用にリレーボックスも別アクセサリーとして用意されていた。

モータードライブの背面にもボタンがあり、このボタンを押して起動することもできる

その後、本体に三脚穴を利用して直接取り付ける「直結式電池ケース」が登場するとケーブルを引っ張りまわすわずらわしさから解放され、むしろ連続撮影機能や速写性を買われてスポーツ写真や報道写真に多用されるようになったのだ。

直結式電池ケースは1966年の発売 この直結式電池ケースの登場によってスポーツ写真などの連続撮影にモータードライブの有用性が高まった

ニコンFの先見性

ニコンFは一眼レフの完成形と、冒頭に書いたがその割に画期的な技術がないことに気づく。「世界初」と胸を張って言えるのは露出計の両連動ぐらいのものだ。むしろそれまで存在していた技術をスマートに使いこなし、十分に咀嚼した上で組み込んだところにニコンFの魅力があると思う。その結果が15年もの長い間の生産と今日まで続くレンズマウントという事実にあらわれているのだ。同時代の他のメーカーが技術の咀嚼が不足していたため、途中で自動絞りの規格を変更したり、レンズマウントを変更したりして苦しんだことを考えると、ニコンFの先見性が際立って見える。

豊田堅二|プロフィール
1947年東京生まれ。30年余(株)ニコンに勤務し一眼レフの設計や電子画像関連の業務に従事した。その後日本大学芸術学部写真学科の非常勤講師として2021年まで教壇に立つ。現在の役職は日本写真学会 フェロー・監事、日本オプトメカトロニクス協会 協力委員、日本カメラ博物館「日本の歴史的カメラ」審査員。著書は「とよけん先生のカメラメカニズム講座(日本カメラ社)」、「ニコンファミリーの従姉妹たち(朝日ソノラマ)」など多数。

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