日本代表、トルシエ監督が最も重用した7人の戦士

日本代表は14日にアジアカップの初戦でベトナムと対戦する。

そのベトナムを率いるフィリップ・トルシエ監督は、1998年~2002年まで日本代表を指揮した人物。アンダー代表の監督も兼任し、若手選手たちを積極的に登用した。

ここでは、『Transfermarkt』で、トルシエ監督が最も起用した日本代表選手たちを調べてみた(出場試合数ではなく、プレー時間の多い選手)。

中田 浩二

通算46試合(計3843分プレー)

20歳だった2000年2月、トルシエ監督のもとで日本代表デビュー。本職はMFながら、指揮官の代名詞となった3バックの左で起用されるなど重用された。

トルシエ監督はマルセイユに着任した際に彼を獲得しており、最も寵愛された選手といえる(マルセイユでトルシエのもとでプレーしたのは5試合)。

稲本 潤一

通算36試合(計2772分プレー)

20歳だった2000年3月にトルシエ監督のもとで日本代表にデビュー。

2002年の日韓W杯では2ゴールを決めて、時の人に。ただ、チュニジア戦とトルコ戦では前半のみで交代させられており、本人的には悔しい思いもあるとか。44歳になった現在も南葛SCでプレーしている。

松田 直樹

通算33試合(計2772分プレー)

22歳だった2000年2月にトルシエ監督のもとで日本代表デビュー。当時の日本人としては最高峰の守備能力とセンスを兼ね備えたDFだった。

トルシエ監督とは愛憎入り乱れる関係性だったが、指揮官は確かな信頼を寄せていた。2011年8月、34歳の若さで逝去。

森岡 隆三

通算29試合(計2434分プレー)

23歳だった1999年3月にトルシエ監督のもとで日本代表デビュー。

3バックの申し子的存在としてトルシエを支えたクレバーなセンターバックで、正確なフィードやプレイスキックも備えていた。

2000年のアジアカップ優勝にも貢献した森岡はメンタル的な強さも持っており、大きな信頼を寄せる指揮官からはキャプテンも託された。ただ、2002年の日韓W杯では初戦で無念の負傷交代となり、それ以後は宮本恒靖がキャプテンマークを巻いた。

楢崎 正剛

通算24試合(計2190分プレー)

21歳だった1998年2月に岡田武史監督のもとで日本代表デビュー。トルシエ監督のもとでは2002年の日韓W杯で守護神を任された。

W杯には通算4度出場し、42歳まで現役を続けると、J1で歴代2位となる631試合に出場するなどレジェンドに。ちなみに、ライバルだった川口能活は、トルシエ監督のもとで計18試合起用されている。

中田 英寿

通算25試合(計2137分プレー)

20歳だった1997年5月に加茂周監督のもとで日本代表デビュー。

1998年W杯後に当時世界最強だったセリエAへと渡った日本が誇るレジェンドであり、トルシエ政権下でも攻撃の軸に君臨した。

2001年のコンフェデレーションズカップでは、当時スクデット獲得に迫っていたローマとの間でヒデの代表活動をめぐる衝突が勃発。ヒデは雨の中行われたオーストラリアとの準決勝で決勝のフリーキックを決めたが、ローマに帰還したためにフランスとの決勝戦は欠場した。

小野 伸二

通算28試合(計2126分プレー)

18歳だった1998年4月に岡田武史監督のもとで日本代表デビュー。日本史上最高の天才は2023年シーズン限りでの引退を決断した。

2002年の日韓W杯直前に虫垂炎を患うも、トルシエ監督からメンバー選考のお墨付きを貰っていたため、手術回避を決断。すさまじい腹痛だったものの、藁にもすがる思いで紹介された医師のもとで3日ほど点滴治療を受けると痛みが消えたとか(大会後に手術)。

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ちなみに、トルシエ監督が重用した印象がある明神智和は通算24試合で計1374分プレー。日本代表以外だと、トルシエ監督は中国の深圳で楽山孝志を33試合で起用している。

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