神奈川に最多16カ所、捕虜収容所の実態明らかに 市民研究者ら事典刊行 全国で3559人死亡

捕虜尋問を目的に国際社会にはその存在を隠された「海軍大船捕虜収容所」(現在の鎌倉市)。収容された6人が死亡した(工藤洋三さん提供、米国立公文書館蔵)

 太平洋戦争時の外国人捕虜の実態を調べている市民団体「POW研究会」が20年以上に及ぶ研究成果をまとめた専門書「捕虜収容所・民間人抑留所事典」を昨年12月に刊行した。旧日本軍は連合国側の戦争捕虜3万6千人を国内連行し、約1割に当たる3559人が暴力や劣悪な環境から命を落とし、在日外国人の民間人も約1200人が抑留された。戦時下の捕虜や民間人抑留の全体像をまとめた研究図書は過去になく、市民研究者たちが知られざる「戦争犯罪」の歴史の闇に光を当てた。

 開戦直後からアジア太平洋地域の占領地を拡大した旧日本軍は米英やオランダなど連合国兵士16万人を捕虜とした。徴兵による日本国内の労働力不足を補うため、一部が本土へ送られることになったが、輸送船が連合国の攻撃を受け約1万1千人が海に沈んだ。日本に着いた約3万6千人が全国130カ所の収容所に送られた。

 日本は当時、捕虜の人道的扱いを定めたジュネーブ条約を批准していなかったが、開戦後に条約の「準用」を国際社会に宣言した。しかし、実際には収容所職員による捕虜の暴行や虐待が横行し、赤十字国際委員会からの救援物資も横取りされて十分な食料や医療も与えられず、強制労働により衰弱した。

 草の根の研究成果を996ページにまとめた事典には、京浜工業地帯を抱えて全国最多16カ所が設置された県内の収容所も詳述。少なくとも2500人以上が収容され、213人が亡くなったとされる。

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