[食の履歴書]もず唱平さん(作詞家) 農村の疲弊ぶり痛感 豊かな文化願い歌に

もず唱平さん

1999年に私が作詞した「はぐれコキリコ」を大ヒットさせた成世昌平は、もともと民謡歌手で、名人位を取っているほどです。民謡に精通している彼を歌謡曲の世界で生かそうと思って作ったのが「はぐれコキリコ」なんですが、私は作詞するに当たって、シナリオハンティングの旅をしました。

大阪から岐阜まで行き、そこから北上して富山まで行きました。その旅で、私は農村の疲弊ぶりを目の当たりにして、ものすごいショックを受けたんです。廃校になってしまった小学校をいくつも見ました。また、かつての日本では当たり前のようにあった一家だんらんの光景も見られなくなってしまっていた。農村では人口が減っているだけでなく、古くから続いてきた文化の面においても疲弊していると痛感しました。

私が携わっている音楽というものは文化の一つです。英語で文化はカルチャー。さらに英語で耕すを意味するカルティベートは、カルチャーと同じ語源を持つそうです。文化も農耕も同じ言葉。そのため私は、文化の原点は農耕であるというふうに理解しています。

日本の農耕過程には、常に歌があります。田植えの際に歌うのはもちろん、田打ち歌、草刈り歌、稲刈り歌、もみすり歌、米つき歌もあります。それほど農耕と歌とには深いつながりがあるのです。歌は農業から出発したといえるでしょう。

私は、神奈川県の平塚で生まれました。おやじは鉄道省(国土交通省とJRグループの前身)の官僚で、官舎が平塚にあったんです。でも私が生まれて2週間後に、おやじは兵隊に召集され満州に行きました。

そこで私は、兵庫県の母の実家に住むことになりました。祖父は田んぼも畑もやっていて、おかげで農村の思い出はたくさんあります。

食事の時は、一番上座に家長として祖父が座っていました。魚も、デンと1匹置いてあるのは祖父だけ。そのような序列がありましたが、だからといって子どもたちが粗末に扱われたわけではありません。

ご飯は、米と麦とが半分くらいずつでした。麦はしっかりとかまないといけません。当時は、かむということを意識したこともなかったのですが、今になって思えば昔の食べ物はよくかまないといけなかったですよね。おやつも柔らかいお菓子ではなく、自分でその辺で採ってきたグミの実、ハスの実、シシ(クチナシ)、スカンポ(イタドリ)など。そしてウナギの骨の天ぷらでした。

祖父はウナギ捕りの名人で、加古川でたくさん捕っていました。信じられないでしょうけど、真冬でもウナギを食べていました。祖父は秋までウナギを捕り、それを水のなくなった田んぼに放すんです。「土池のウナギ」といって田んぼの泥の中で冬眠しているウナギを、祖父は泥をかき分けて捕まえていました。

さばいたウナギの肝は、「精が付くから」と子どもたちが食べさせてもらいました。他にもかば焼きや八幡巻きなど、日によって違う料理が並ぶ。それが毎日。嫌ほど食べたからウナギの香りが恐怖になって、この半世紀以上自分で金を出してウナギを食べたことはないほどです。

他に加古川で捕れたのが、モクズガニ。竹で編んだ捕獲機のようなものを水に沈め、その中に入ってきたカニを取り出すんです。これを食べるのは楽しみでしたね。

おふくろはノビルやツクシを採ってきておひたしを作りましたし、ダイコンの葉っぱを塩で味付けして、ご飯と一緒に炊いたまぜご飯もよく食べました。いずれも農村ならではの食文化だと思います。

農村が疲弊するということは、国が疲弊すること。農村が持っていた豊かな文化がよみがえることを願い、歌を作っています。 (聞き手・菊地武顕)

もず・しょうへい 1938年、神奈川県生まれ。兵庫県、大阪府育ち。67年から放送局でテーマソングなどの制作に関わる。デビュー作は同年の「釜ケ崎人情」。代表作に「花街の母」(73年。歌・金田たつえ)。アルバムでは2004年度日本レコード大賞ベストアルバム賞受賞作「おんなの絵本」(共作。歌・五木ひろし)。昨年11月に発売された成世昌平の新曲「あんちゃん」をプロデュースした。

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