田中英寿さん死去 青森県関係者悼む 相撲のために尽くした

自身の国際相撲連盟会長などの就任を祝う会で鏡開きを行う田中さん(右から3人目)=2006年7月、都内

 日本大元理事長の田中英寿さん(旧金木町出身)が77歳で死去した。訃報が流れた13日、日大相撲部監督時代の教え子で、角界で活躍した青森県出身者や相撲関係者は突然の出来事に驚き「相撲のために尽くしてくれた」「おやじのような存在」などと、その死を悼んだ。

 「指導法はスパルタではなく理論的。組み合った時の頭の位置、肩の使い方などを具体的に指導してもらった。あの4年間がなかったら今の私はなかった」。日大相撲部で田中さんの指導を受けた大相撲元小結の舞の海秀平さん(55)=鯵ケ沢町出身=は学生時代をこう振り返る。

 大学に入学した当初、体重が68キロだったという舞の海さんは、田中さんに「90キロになれば使ってやる」と言われ、必死に食べたという。3年の時、90キロには満たなかったものの、レギュラーの座をつかんだ。

 自身が敗れて優勝を逃した大会があり、一度レギュラーからは外れたが、4年の時に再び起用された。「目をかけてもらっていたと感じた。チャンスをもう一度くれたから角界入りできた」と懐かしむ。

 舞の海さんは「相撲を五輪競技にするという強い思いで頑張ってこられた。女子の世界相撲が開かれるようになった。五輪で相撲を見ることはかなわなかったのは無念だと思うが、相撲のために尽くした功績は確か」としのんだ。

 同じく日大相撲部時代の教え子で、元関脇追風海の齊藤直飛人さん(48)=板柳町=は「とにかく相撲が好きな人。カリスマ性があり、口数は少ないが、言葉の一つ一つに重みがあった。大学1年の1年間は、部員の中で私だけ田中先生の家に住むなど、特別お世話になった。私にとっておやじのような存在。いろいろとありましたけど、ゆっくりと休んでほしい-と伝えたい」と話した。

 「えっ」。訃報を東奥日報の電話取材で知った元小結高見盛の東関親方(47)=板柳町出身=は、ショックを隠しきれない様子。

 日大相撲部時代、田中さんの薫陶を受けてアマチュア横綱のタイトルを獲得したのが最大の思い出。東関親方は昔の記憶をたどりながら「とことん鍛えられたことが礎となって自分の土俵人生があり、そして今がある」と感謝の思いを打ち明け「アマチュア相撲の伝説が星になった」。

 また、県相撲連盟の櫻田一雅会長(69)=十和田市=は、かつて自身が日本相撲連盟の理事を務めていた際には毎年あいさつしていたといい「いつも『青森の相撲は大丈夫か』と気にかけてくれた。相撲の神様のような人。本県の相撲の発展に尽くしてくれた」と述べた。

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