17~18世紀の首里城の礎石 個人宅に100年保存 当時の首里市が財政難で曾祖父に売却 「沖縄県に寄贈したい」

 17~18世紀ごろに首里城奉神門の前に設置されていた柵状の「欄干(らんかん)」の石柱と、首里城の建築材として使われた「礎石(そせき)」が那覇市首里平良町の民間人宅で100年にわたって保存されていたことが分かった。首里城の平成復元時にも参考資料として役立てられた希少なもので、所有者の津嘉山珍勝(よしかつ)さん(79)は「県民の財産なので早いうちに県へ寄贈したい」と話している。(社会部・城間陽介)

 津嘉山さん宅に保存されている欄干支柱は、縦横約15センチ、高さ90センチ余りの直方体。現在7本ある。首里城正殿など柱の下に敷く礎石は直径約40センチの半球体。15個ある。

 珍勝さんの曽祖父・珍厚さんが当時首里市の市議だった1910年~20年ごろ、財政難で正殿以外の建築部材を競売にかけていた市から購入したという。津嘉山家は戦前、パナマ帽の製造・販売で一財産を築いており、珍勝さんは「財政的なゆとりもあったのだろう」と想像する。

 戦後の1950年代、母親が自宅にあった欄干、礎石を首里博物館(当時)に寄贈したが、一部を自宅に残していた。

 小さい頃から首里城の建築資材が自宅にあることを知っていたという珍勝さんは「いつかは返さないといけないと思いつつも、タイミングを逸してしまった。価値についても疎かった」と話す。首里城火災があり、再建が進む今こそ寄贈すべきだと思い立った。

 首里城の歴史に詳しい県立芸術大学の安里進名誉教授は「大正期の首里市は財政難で守礼門や奉神門を解体し、まき材として売っていた」と指摘。珍勝さんが所有する礎石は中国福建省産だが、どこの建築部材として使われていたのか判然としないという。「県立博物館に寄贈いただければ、今後の調査研究に役立つだろう」と話した。

首里城の柱の土台として使われた礎石。「早めに県へ寄贈したい」と話す津嘉山珍勝さん=2日、那覇市首里平良町

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