新上五島・有川「弁財天祭り」 鯨唄勇壮 4年ぶり響く

夜明け前、海童神社に奉納の太鼓を打つ高崎地区の人たち=新上五島町

 捕鯨で栄えた歴史を持つ長崎県の新上五島町有川郷で13日、弁財天(めーざいてん)祭りがあった。コロナ禍で中止が続いていたが、4年ぶりに復活。家内安全や豊漁などを願う勇壮な鯨唄と太鼓の音が終日響き渡り、まちは活気にあふれた。
 旧有川町の郷土誌などによると、祭りは江戸時代、29年間続いた五島藩有川と富江藩魚目との有川湾の海境問題がきっかけ。有川の代表者らが江戸に上り、幕府に問題解決を訴えた際、道中96の神仏に勝訴を祈った。中でも、鎌倉の弁財天への信仰が厚く、有川側が勝訴して島にご神体を祭ったことが起源という。

午前6時、弁財天宮で太鼓をたたき始めた浜地区の青年ら=新上五島町

 祭りは午前6時ごろから始まった。同郷の六つの地区(浜、船津、中筋、高崎、上有川、西原)の青年団員らが、そろいの法被や着流し姿で弁財天宮にそれぞれ集まった。一番乗りの浜地区を皮切りに、鯨唄の「年の始め」や「旦那さま」を奉納した。
 捕鯨ゆかりの鯨見山や、鯨の顎の骨でできた鳥居がある海童神社など、民家や商店、企業も巡った。各地区とも数班に分かれて、約150カ所から最多で約500カ所を回り、奉納は長時間に及んだ。
 中筋地区の青年団長、原光孝さん(45)は「喉はガラガラ、腕も上がらない」と笑い、「祭りの継承を危惧したが、子どもたちが喜んで参加してくれ、ひと安心。町の人たちも喜んでくれてうれしかった」と話した。

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