気候変動で世界が注目、長野県の諏訪湖で582年目の湖面観察が始まった

全面結氷した諏訪湖で、氷が山脈状にせり上がる御神渡り現象(2018年、筆者撮影)

2024年1月6日、長野県の諏訪湖畔でことしも御神渡り(おみわたり)観察が始まった。諏訪市中心部にある八剱(やつるぎ)神社の宮司、総代が厳寒の朝6時半に集合し、湖面と水中の水温を測る。氷が張っていたらその状態をチェックしながら氷を割って厚さを測る。地味な作業だが、この観測が今や世界の環境学者らの注目を集めている。理由は観測期間である。観測開始がスタートしたのは1443(嘉吉3)年。以来、581年のデータが途切れることなく蓄積されてきた。地球温暖化の推移をみるのに、これを超える観察データはほかにない。(依光隆明)

轟音とともに神の通い道ができる

御神渡りとは、神が通う道である。夜明けの前後、轟(ごう)音とともに氷が割れ、重なり合って一筋の道ができる。昔の人々はそれを神が通う道だと信じた。観察記録をつけ始めた1443年は、日本では室町時代中期。ヨーロッパは中世が終わり、大航海時代が始まろうとする時期だ。なぜ諏訪湖で、という理由は2つある。

一つは諏訪湖の自然環境が御神渡り現象に適していたこと。半世紀にわたって御神渡り現象を研究した北海道教育大学名誉教授の東海林明雄さんによると、御神渡り現象が出現する湖の条件は①直径1.5キロ以上の淡水湖②浅いこと③厚さ10センチ以上の氷が張る寒さ④積雪の少なさ⑤1日の最低気温と最高気温の差が大。この条件に当てはまるのが諏訪湖だった。

もう一つの理由は諏訪の人たちの信心深さだ。諏訪には諏訪大社が4社あり(上社前宮、上社本宮、下社秋宮、下社春宮)、その神は龍の姿になって現れると信じられている。かつての御神渡りは高さ1メートル以上の氷が山脈状になって湖を横断した。そそり立つ氷がうねりながら延びるさまは、まさに龍。諏訪湖から流れ出る川は一本しかないが、諏訪湖に龍神が棲(す)むゆえにその川は天竜川と呼ばれている。

出現確率、92%から24%に急降下

観察風景。諏訪湖に飛び出した半島部に行き、水温などを測る(2024年1月8日)

御神渡り現象が出現するには湖が全面結氷しなければならない。夜が明けて気温が上がると氷の体積が膨張する。ところがすでに全面結氷しているので、横には膨張できない。押しとどめられた力が限界を超えた瞬間、破壊を伴って一気に膨張する。以上が定説だが、夜間に起きるという説もある。氷板の上下で異なる圧縮、伸長が起きることによって下面に小さなクラックが発生、そこに入った水が氷となるときに体積が膨らむ。それが氷板を横方向に拡大させようとする、と。

全面結氷し、少なくとも10センチ程度の氷が張るには冷え込まなくてはならない。八剱神社関係者の間では「零下10度が3日間続くこと」が目安として伝えられている。実際はそう単純ではないのだが、いずれにしろ寒さが鍵ということは間違いない。

1443年から昭和の末に当たる1986年までの534年間で御神渡りが出現しなかったのは44回(欠落を含む)。91.8%の確率で御神渡りが出現している。たとえば明治、大正に御神渡りが出現しなかったのはそれぞれ2回。昭和に入っても、戦争が終わる昭和20年までに出現しなかったのは2回(昭和7年と12年)しかない。それが一転するのは1987(昭和62)年からだ。4年連続で不出現が続き、1991(平成3)年に出現したあと、6年連続で不出現。1987年から2023(令和5)年までの37年で御神渡りが出現したのは9回しかない。出現確率は24.3%。

なぜ御神渡りが出現しなくなったのか。

「ブルッとこない朝が多くなった」

総代たちとその日の観察結果を報告する八剱神社の宮坂清宮司(2024年1月8日)

「世界的な気候変動の中で、注目される記録のひとつになっています」と話すのは八剱神社宮司の宮坂清さん。

「ここ2、3年はアメリカからの取材が多いですね。でも『自然イコール神』という日本人の感覚はなかなか理解してもらえなくて。通訳の人がNature is Godと訳しちゃうともう訳が分からなくなりますからね」

御神渡りができなくなり始めたのは20世紀中盤だった。20世紀後半になると御神渡りの出現が珍しくなり、ここ10年では2018(平成30)年のわずか1回だけ。護岸のコンクリート化などさまざまな要因があるにしろ、多くの人が地球温暖化に主因を求めている。

宮坂さんが父親から宮司を引き継いだのは38年前の1986(昭和61)年だった。以来、厳寒期の湖面観察を続けている。宮坂さんが観察を始めたとき、ちょうど御神渡りが姿を見せなくなっていた。御神渡りが出現しないことを八剱神社では「明けの海」と表現するが、宮坂さんがまとめた一覧表には「明けの海」が並ぶ。40年近くも丹念に気温や水温を測ってきただけに、宮坂さんはデータと皮膚感覚の双方で温暖化を感じている。

「それはもう、毎年のように『明けの海』ですからね。観測していてもブルッとこない日が多くなりました」

「当社神幸記」から「御渡帳」、「御渡注進録」

宮坂清さんが作ったグラフ。20世紀後半から「明けの海」が急増した

581年間の記録は、諏訪大社の「当社神幸記」としてスタートした。載せているのはいつ諏訪湖が結氷したか、いつの時間帯にどこからどこまで御神渡りが出現したのか。それを受け継ぐ形で「御渡(みわたり)帳」、現代まで続く「湖上御渡注進録」と書きつないできた。「湖上御渡注進録」の執筆責任者は八剱神社の大総代だが、文案を考えるのは宮坂宮司。宮坂さんは581年間の観察記録を管理し、読み解いてもいる。

「昔、御神渡りが出現していた時間は寅の刻が多いですね。日の出のころでしょうか」。寅の刻というのは午前3時から5時まで。昔は御神渡りが大きかったため、大地を揺るがすような轟音が鳴り響いた。

江戸中期から御渡りの記録は丁寧に書きつながれてきた(c) HAKUA / Greenpeace

1443年は連続して観察記録が残る起点であり、その前にも御神渡りの記録はある。たとえば1221(承久3)年の記録。宮坂宮司が言う。

「今回の御神渡りは異例である。越年してできた、しかも昼間にできた、と書かれています。旧暦ですから、おそらく新暦の2月10日ごろに御神渡りができたんじゃないでしょうかねえ。それに続けてこう書かれています。『おかしいと思ったら天下の大乱が起きた』と。承久の乱のことです」

後鳥羽上皇が鎌倉幕府討伐の兵を挙げ、敗れた戦いである。800年前の人々は御神渡りの異常を社会の異常と結びつけて考えていた。

「昔は(御神渡りが)できなかったら大変という認識だったようですが、今は、できないのが普通という感覚です。できないのがいつまで続くのか、今年はできるのか、世界の環境活動家の注目を集めているのもひしひしと感じます」

30年後には日本から失われてしまうかもしれない……国際環境NGOも注目

昨年は国際環境NGO、グリーンピース・ジャパンの企画による、主に気候変動が原因で30年後には日本から失われてしまうかもしれない生物や文化に焦点を当てたアート展のテーマの一つとして、御神渡りに白羽の矢が立ち、約10分のショートフィルム作品もつくられた。

宮坂宮司はその作品とともに11月に東京で開かれた展示会に参加し、御神渡りのほかにも、海水温の上昇で昆布が取れなくなってしまうことによって日本料理が危機を迎えるかもしれないことや、寿司ネタの中で残るのはハマチだけかもしれないといった展示に心を動かされた。御神渡りのショートフィルム作品は2月にタイで開かれる気候変動問題を巡る国際映画祭である「Changing Climate, Changing Lives Film Festival」にも出品される。

世界唯一の長期視察に参加したい

2024年1月9日朝も宮坂さんは諏訪湖のほとりに立った。「気温はマイナス8.6度。水温は3.5度でした。薄氷が張っていたので、これからが本格的な観察ですね」。

棒の先に温度計をつけて水中温度を測る総代たち(2024年1月8日、諏訪市の諏訪湖)

582年目の観察は宮坂さんと八剱神社の総代が淡々と進めている。ただしここ数年はちょっとした変化もある。一般の人たちの参加が増えているのだ。厳寒期の諏訪は、ものみな凍るほどに寒い。御神渡りができる保証もない。でも人は来る。582年目を迎えた観測に、地球の気温変化を知る世界唯一の記録作りに参加するためかもしれない。

© 株式会社博展