戦乱のガザで毎日180人の赤ちゃんが生まれている 何度も避難し、麻酔が不足する中で帝王切開に挑んだ記録

2023年11月に生まれた双子の赤ちゃん。右がラヤーン、左がリターン=2023年12月、パレスチナ自治区ガザ南部ハンユニスのナセル病院(共同)

 イスラエル軍が侵攻を続けるパレスチナ自治区ガザでは、死者が2万3千人を超える一方、毎日180人前後の新生児が誕生している。軍とイスラム組織ハマスとの戦闘が始まった昨年10月時点で約5万人の女性が妊娠していた。共同通信ガザ通信員ハッサン・エスドゥーディーのいとこ、シューク・ハラーラ(24)もその一人。ガザ北部ガザ市から3回の避難を余儀なくされ、南部ハンユニスの病院で昨年11月に双子を出産した。麻酔が十分手に入らず、激痛に耐えた帝王切開手術。エスドゥーディーが報告する。(敬称略。翻訳、構成は共同通信エルサレム支局長 平野雄吾)

 ▽妊婦、徒歩で2時間避難

 昨年12月中旬、ガザ南部ハンユニスのナセル病院にシュークを訪ねた。シュークの家族が身を寄せているほか、彼女自身が定期的に新生児の健診に来るためだ。シュークはやせ細り、顔に疲れがにじみ出ている。それでも、双子を見つめる目には、力強さを感じた。
 丸い瞳を大きく開き、小さな手足をばたばたさせる。生まれたばかりの双子を見ると、日々ガザですり切れていく気持ちも穏やかになった。
 「2人が生まれたとき、安堵感から涙が出てきた」。シュークは昨年11月3日の出産を振り返り、そう語った。妊娠8カ月で、1700グラムの女児と1300グラムの男児だった。

ハッサン・エスドゥーディー氏(共同)

 10月7日にイスラエル軍の空爆が始まると、シュークは夫マムドゥーフ(26)らと共にガザ北部ガザ市の自宅から市内のシファ病院に避難した。だが、シファ病院も軍の攻撃対象となり、1週間後に中部ヌセイラト難民キャンプの友人宅へ向かった。大きなおなかを抱えて2時間以上、空爆で建物や道路が破壊された街を歩く。避難する市民は多く、長蛇の行列だ。負傷者は手押し車や担架で運ばれる。イスラエル建国に伴い多数のパレスチナ人が避難を余儀なくされた1948年の「ナクバ(大災厄)」の再来だった。

 友人宅に空きベッドはなく、床に毛布を敷いて横たわった。食料も十分にはなくなり、ツナ缶が主食で、野菜を食べることもなくなった。「赤ちゃんがおなかを蹴るたびに、まだ生きていると安心した」とシュークは言う。「けれど、もっと栄養をちょうだいと訴えているようにも感じた」。安心したのもつかの間、今度はヌセイラト難民キャンプにも空爆が始まり、3日後に再度避難、10月17日にハンユニスのナセル病院に到着した。
 負傷者や避難者があふれる廊下、その廊下で麻酔なしに手術する外科医…。シュークらが目にしたのはガザの病院の現実だった。

2023年12月5日、パレスチナ自治区ガザ南部ハンユニスのナセル病院で介助を受ける負傷者ら(ロイター=共同)

 ▽砲撃から赤ちゃんを守る

 廊下の片隅に居場所を確保してから数日後、医師が告げた。「帝王切開をするが、麻酔薬が十分にない」。マムドゥーフは南部ラファまで必死に探しに行き、別の病院で購入した。それでも不十分で、シュークは激痛の手術に挑んだ。
 戦火のガザに生まれた双子。男児は「天国にある家」の意味でラヤーン、女児は軍の攻撃で死亡した親友の名前からリターンと名付けた。北部ジャバリヤにある国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)運営の学校に避難中、殺害された親友。「彼女を思い出し、また涙があふれた」とシュークは振り返った。

2023年12月5日、イスラエル軍の空爆で負傷し、パレスチナ自治区ガザ南部のナセル病院に運ばれた子ども(ゲッティ=共同)

 出産後、その日のうちに病院を後にした。人が密集する病院では、感染症などが不安だったためだ。向かう先は中部デールバラハの友人宅。道のりは30キロもあり、一部は車で移動ができたが、3時間は歩かざるを得なかった。だが、デールバラハも安全な場所ではない。近くの住宅が砲撃され、破片が室内に飛んできたこともある。窓ガラスが割れ、壁の一部が崩れる。ほこりだらけになる室内。「2人を同時に瞬時に抱くことはできず、覆いかぶさるのに精いっぱいだった」とシュークは強調した。
 「もう一つ問題があった」と今度は笑顔を見せた。「出産で頭がいっぱいでベビー服も粉ミルクも何も用意できていなかった」。出産後、マムドゥーフは慌てて買い出しに行くが、商店では戦闘前の3~4倍の値段に跳ね上がっていた。国連の支援物資も不十分で、子ども用品は常に不足する。出産後、安堵の息をつく間もなく、子育てに追われ、食料や衣服など子育て用品の調達に奔走する日々が始まった。

1月5日、パレスチナ自治区ガザ中部デールバラハで、荷物を持って自宅から避難する住民ら(ゲッティ=共同)

 国連児童基金(ユニセフ)によると、日々生まれる180人前後の新生児の中には、病院ではなく、避難先の住宅や路上で生まれた子どももいる。出産後の母子が学校などの避難所で生活するケースも多い。十分な食料や水、衛生用品がないのが現実だ。母乳で子育てをしている女性は10万人程度とみられ、栄養不足の懸念が深まる。2歳未満児の9割が栄養不足状態だとの報告もある。
 ユニセフのテス・イングラム報道官は「十分な栄養を摂取できなければ、感染症にかかりやすくなるほか、知能や身体の発達の遅れにつながる」と指摘する。ユニセフは人道支援物資として水や食料、粉ミルク、衛生用品のほか、妊娠中の女性や母乳で育てる母親向けの栄養サプリメントもガザに送る。予防接種のためのワクチン搬入も開始したが、数は足りない。

ガザ地区中部デールバラハのアルアクサ殉教者病院で、保育器に横たわる未熟児=1月12日(ゲッティ=共同)

 国連安全保障理事会は12月下旬、ガザへの人道支援の強化を訴える決議案を採択したが、現実の品不足は変わらない。私自身、食事は1日1回、ひよこ豆やチーズ、パンなどを食べるのがやっとだ。イスラエル軍の攻撃が強化されたハンユニスからラファの親戚宅に避難したが、約40人が同居、私は1部屋に7人で眠る状況が続く。
 ナセル病院で会ったとき、シュークが「戦争の間に産んで申し訳ないと思う」とつぶやくように何度も語ったのを思い出す。そして、小さな2人を見つめ、付け加えた。
 「パレスチナの現状を変え、人々の命を救うような人になってほしい」

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