小説=流氓=薄倖移民の痛恨歌=矢嶋健介 著=84

 隆夫はカフェランディアの地理に詳しいから、町の敗戦論者で農産物仲買商の楠野某を狙うように命ぜられ、山路と行動に移った。楠野の住宅は町外れにあり、その時刻、家族は夕食中だった。二人の刺客は息を凝らして家屋に近づいた。何故か犬は吠えなかった。
 彼らは窓辺に忍び寄り、山路がガラス越しに家長の楠野に銃の照準を合わせて発砲した。動転した家族は奥へ逃げる者、テーブルの下に潜る者、つまづいて転ぶ娘、その娘を踏み越えて部屋に駈け込んだ男が猟銃らしいものを持ち出す動きが見てとれた。銃声を聞いた番犬がけたたましく吠え立てた。もはや二人は、次の行動に移る余裕をなくしていた。楠野が斃れたか否を確かめることなく、襲いかかる犬を足蹴にしながら、必死にその場を離れた。
 市街地へ向かうのは危険なので、田舎の方角へ足を運んだ。適当な場所で野宿をして翌日は久しく訪れぬ昔住んだ添島植民地でも訪ねてみようか。知人の一人や二人はいるだろうし、二、三日の宿ぐらいはありつけるだろう。
 隆夫は、山路と相談しながら電灯のない方向へ歩いた。暗いが、広びろとしていてつまづくような障害物は何一つなかった。暫くして、後方から車のライトが近づいてきた。知人なら停めてくれるかもしれない。二人に、先刻の行為の罪の意識はなかった。
 隆夫はライトの眩しさに眼をしかめながら立っていた。果たして自動車は停まった。出てきたのはピストルを手にした三人の警察官だった。
「手を上げろ」
 一人が大声を出した。武器はどこかへ捨てるべきだった。二人は警官に銃を取り上げられた。
「これは何のためだ」
 髭面で、眼つきの鋭い男が二人に詰問した。
「夜は物騒だからいつも持っている」
「どこからきて、どこへ行くんだ」
「この奥の添島植民地の者だ。町で遊びすぎて帰りのバスがないので、誰かのカローナ(車に便乗すること)を待っていたんだ」
「でたらめを言うな。今、セニョール楠野の息子から電話があって、シンドウから襲われた。若い二人の青年だ。西の方へ逃げた、と知らせがあったんだ」
「そんなこと知らないよ」
「嘘をつくな。とにかく車に入れ」
 別の警官が車の後部扉を開けた。二人は強く肩を押さえられ、車内に押し込まれた。
 翌日の調べで、二人は添島植民地の住人でないことが発覚し、武器を所持していたこと、また二人が逮捕されたのが、楠野が襲われて間のない時刻だったため、狙撃犯に違いないと決められた。

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