「感染者が立ち寄った店」知事のひと言で客は消えた…老舗ラーメン店主の絶望 行政のコロナ対応は本当に妥当だった? 今考えたい感染症対策

王王軒本店の厨房に立つ店長の近藤純さん=2023年12月13日、徳島県藍住町

 徳島県藍住町の老舗ラーメン店「王王軒(わんわんけん)」。濃厚な豚骨スープに生卵を乗せた、いわゆる「徳島ラーメン」が県内外の客に愛されている。
 2020年7月、この店が一躍有名になった。飯泉嘉門・徳島県知事(当時)が、新型コロナウイルス感染者が立ち寄った店として公表したのだ。
 すると客足はぱったり途絶えた上、インターネット上に誹謗中傷が次々と書き込まれた。
 「コロナ軒に改名しろ」
 「ラーメン、コロナ抜きで」
 店主の近藤純さん(51)は絶望的な気持ちになった。店名が公表されるとは思ってもいなかったためだ。
 徳島県の新型コロナ対応を巡っては、ほかにも「県外ナンバーの車」が暴言や嫌がらせを受けたことも明らかになっている。国内初の新型コロナウイルス感染者が確認されてから1月15日で4年が経過。今年2024年は「ポストコロナ元年」とも言われる。当時の行政対応は本当に的確だったのだろうか。徳島県を例に振り返ってみると、危うい状況が垣間見えた。(共同通信=米津柊哉、牧野直翔)

定例記者会見に臨む当時知事だった飯泉嘉門氏=2019年11月15日、徳島県庁

 ▽同意はあったのか?食い違う証言
 最初の緊急事態宣言が解除されてから約2カ月後の2020年7月31日、飯泉知事は定例記者会見を開いた。県内20例目のコロナ感染者が、感染確認前に友人らと立ち寄り、食事を約20分間していた店が「王王軒本店」だったと公表した。
 店名公表について、飯泉知事は「(店側の)同意をいただけた」と述べた。しかし、店主の近藤さんによると、実際には同意を得ていなかった。

徳島県庁

 公表の影響は大きく、翌8月の客足は前年比で半減した。書き入れ時の日曜の昼間ですら、客は1~2人。ネット上で中傷も受けた。
 「店に短時間立ち寄られただけで公表されるのは納得できない」
 近藤さんは県庁に足を運び、被害を訴えたが、話し合いは平行線。県の担当者は「同意をもらったと聞いている」との一点張りだった。
 近藤さんの怒りは収まらない。
 「県のやり方は一方的でひどい。飲食店の気持ちを理解してくれていない」

王王軒本店で取材に応じる近藤さん=2023年12月13日、徳島県藍住町

 ▽手続きの是非問うため、提訴
 店名公表は正しかったのか。手続きに問題は無かったのか。是非を問うため、近藤さんは2021年2月、徳島県を相手に賠償請求訴訟を起こした。
 店側はクラスター(感染者集団)が未発生で公表の緊急性はなく、店名公表時に風評被害などへの対策が全く無かったとして、以下のように訴えた。
 「(店側)にもたらされる不利益の方がはるかに大きく、公表の目的に正当性がなく、公表の手段として相当でないから、店名公表は社会的相当性を著しく欠く」
 これに対し、徳島県側は、店名公表が感染症の予防について定めた感染症法や厚生労働省の「事務連絡」の趣旨にのっとった対応だと訴え、こう反論した。「店内はほぼ満席だった上、居合わせた客の追跡は不可能だった。公表は不特定の客に注意喚起をし、感染の拡大防止を図るためだった」

王王軒本店のラーメン。創業時から1日も欠かさず継ぎ足しながら作ったという、濃厚な豚骨スープが特徴=2023年12月、徳島県藍住町

 ▽「誰かのために声を上げないといけない」
 徳島地裁は2023年1月、徳島県側の主張を大筋で認める判決を下した。「感染の連鎖を止めて収束を図るのが急務だった」として、公表の目的は正当で緊急性もあったと認めた。
 判決は店の主張も一部くみ、公表について店側の同意を得ていないと認定した。また「公表が甚大な風評被害を及ぼす恐れがあったことは否定できない」と指摘したものの、①知事は客観的で中立的な事実を公表したに過ぎない②店の名誉を傷つけたり、店を利用すると感染する危険性があると誤認させたりするものではない―とした。
 店側は控訴したが、2023年7月の高松高裁判決でも結論は変わらなかった。

王軒本店の厨房にある換気扇。近藤さんは「店名公表時、換気扇を4機回した上で窓を開け、アルコール消毒液も置いていた。感染対策は十分していた」と話す=2023年12月

 近藤さんは判決文を読んで落ち込んだ。
 「これ以上、傷つきたくないと思った」。それでも最高裁への上告を決めた。こう思い直したからだ。
 「忘れてはいけないこと。黙っていては伝わらず、おかしなことには声を上げたい。『公表』で傷つく人は多いと思う。結果は別として、今後のためにも誰かが声を上げないといけない」
 地裁、高裁で認められなかったものの、近藤さんが孤立しているわけではない。訴えに共感した同業者や王王軒のファンは、クラウドファンディングで訴訟費用を支援している。

1998年、創業当時の王王軒本店。店名は近藤さんが好きだった野球の王貞治氏のように、世界に愛されるラーメン店を目指して付けた(近藤さん提供)

 ▽県外ナンバーへの中傷、暴言、投石も…
 徳島県のコロナ対応で、もう一つ波紋を呼んだものがある。「県外ナンバーの調査」だ。
 店名公表をする前の2020年4~5月に、徳島県は調査を3回実施した。
 当時、県内の感染者はまだ1カ月に2人と少なかった。この時期に、県職員らが目視で高速道路やパチンコ店、観光施設などに来た徳島県外のナンバーを持つ車の台数を数える調査を始めた。
 この行為は結果的に、県外ナンバーに対する徳島県民の疑心をかきたてることにつながった。飯泉知事は2020年4月24日の臨時記者会見で、調査によって「県外車への誹謗中傷、暴言、投石、あおり運転が見られるようになった」と明かしている。
 「車に傷を入れられた」という苦情も県庁に寄せられた。飯泉知事はこう言って軌道修正を図った。
 「強いメッセージになりすぎた。冷静な対応をお願いしたい」

徳島県が高速道路の出口で実施した県外ナンバー車の台数調査=2020年4月、徳島県美馬市(徳島県提供)

 ▽「当時は未知の感染症だった」
 この調査について、徳島県は今、どう考えているのだろうか。担当課に尋ねたところ、調査に至った経緯が分かる資料が残っていないとしつつ「判断は妥当だった」と断言した。
 担当者はこう説明する。
 「当時、県民から『県外ナンバーがたくさん来ている』との不安の声があった。県内4例目となる感染者には県外の行動歴があり、これを受けて対応策を知事や幹部職員、職員で協議して企画した」

県外車調査の目的や内容を記した県の文書

 当時はまだ、新型コロナウイルスの実態がよく分かっていなかった点もポイントに挙げる。「当時は未知の感染症だった。調査結果によって自粛要請などの対策を検討するための実態の確認として必要性があった」
 他県でも同じようなことがあった。長野県も県外ナンバー車の調査を実施している。山形県などは、県外ナンバーの車に乗る県民向けに「県内在住確認書」を交付し、「差別助長」との批判を受けた。

「徳島県内在住者です」のステッカー(提供写真)

 ▽「人が人を疑う状況の一端が現れている」
 専門家はどう見るのだろう。地方自治を専門とする香川大の三野靖教授は、当時の徳島県の対応の妥当性についてこう指摘している。

取材に応じる香川大の三野靖教授=2023年12月21日、高松市

 「二つの施策から言えるのは、人が人を疑う状況の一端が現れていること。行政が結果的にこの状況を扇動することになった。
 まず、店名公表は、科学的根拠がはっきりとしない中で行うとリスクがある。店に20分間いて、どの程度の人に感染する恐れがあったかは誰も証明できない。公表は信用失墜を招く事実上の社会的制裁となり得るが、法的手続きがあいまいだ。公表された側は、損害賠償請求くらいしか対抗手段がない。弁明の機会や補償の仕組みを設けるべきだった。
 次に、県外車調査は、県民、市民が県のメッセージをどう受け止めるか想像する必要性があった。『知事が言っているからけしからん。車に石を投げてもいい』となりかねず、自警団のような行為につながる可能性がある。影響を冷静に考え『あくまで統計調査』などと伝えるべきだった。
 教訓を整理し、次のパンデミック(感染症の大流行)に備えるべきだ」

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