阪神・淡路大震災で続く「遠因死」の名を刻む活動、病気や自死、提唱者の俳優が解説 能登半島地震も懸念

震災など自然災害に起因する病気や経済的なダメージ等による自死などを含む「遠因死」が看過できない問題としてある。阪神・淡路大震災から29年となる17日、犠牲者らを追悼する神戸・東遊園地の「慰霊と復興のモニュメント」に今回、新たに12人の名前が刻まれたが、この問題は過去の話ではなく、今月発生した能登半島地震にもつながっている。提唱者である「慰霊と復興のモニュメント運営委員会」の委員長で俳優の堀内正美氏(73)に話を聞いた。

2000年、神戸市中央区にある東遊園地に「慰霊と復興のモニュメント」が設立された時には4517人の名前が刻まれた。年々、その数は増え、現在5047人。当初、対象者は神戸市民と市内の犠牲者だったが、市外の犠牲者や震災が遠因で亡くなった人、復興や追悼行事に貢献した人らも対象となっている。このモニュメントの地下空間に名前を掲示する活動は堀内委員長が提唱。式典が行われる17日、夜10時から放送されるNHKスペシャル『あなたの名前を刻みたい〜阪神淡路大震災から29年〜』で紹介され、堀内氏も出演する予定だ。

堀内氏はよろず~ニュースの取材に対して「遠因死の方は298人。神戸市外の震災死の方は196人」と説明。「遠因」で亡くなった人の例として、同氏は「避難所、仮設住宅で体調を崩されたり、震災以前からの持病をこじらせてというケースがあります。また、病院で治療中、震災によって転院させられ、その先で体調を崩された方などもいます。さらに、仕事、会社がつぶれるなどし、将来を悲観して自死された方になります」と補足した。

生まれ育った東京から80年代に神戸移住し、自身も市民として被災した堀内氏は29年間に渡って地元に寄り添ってきた。同氏は「震災で娘さん2人を亡くし、精神的に参ってガンで亡くなった女性もいます。ご本人にとって、娘さんを亡くされたことで決定的に人生を狂わせたので、遠因死として、お名前を入れた。また、自死された方は、当初はご家族が『自死』と言いづらかったのが、時が経つことによって『実は…』と(自死であったことを)言えるようになったこともある」と付け加えた。

堀内氏は「『集団的喪失=震災死』は仲間がいるが、『個人的喪失=遠因死』は仲間がいない。震災死に対しては行政からの支援があるが、遠因死に対しては支援がない。『遠因死』というカテゴリーを作ることに対して、役所としては『弔慰金を請求されたら…』という懸念もあったりする」と問題提起しながら、「ただ、東日本大震災からは、この遠因死の方々のお名前を載せる活動が必要だと認識され、関連死として認定されるようになってきています」と進展の兆しも挙げた。

能登半島地震を受け、堀内氏は交流のある国会議員らと連携するなどして、支援活動を水面下で続けている。同氏は「阪神・淡路大震災では様々な失敗がありましたが、その失敗が震災の検証の中ではなされていないので、同じ轍(てつ)を踏んでいる。東日本大震災からから個人(のボランティア)を受け入れないとしているが、大間違いです。激震地に個人を入れるのは危険だが、激震地に隣接して日常生活を営めている場所に、物資の集積場を作り、市民が仕分けし、自衛隊に運んでもらえば問題ない」と指摘。また、「珠洲市には人工透析の方もいらして、医師に連絡して対応していただいた。神戸市と兵庫県も珠洲市の支援に入ることになったので、できる支援についてはそこに集中していこうと、いま動いているところです」と明かした。

阪神・淡路大震災の被災者にとって「1月17日を迎えて初めて新年が来る」という堀内氏。「(モニュメントのある)東遊園地はある意味『ホーム・カミング』的な場で、年に1回、近況を語り合う場であり、初めて来る若者たちに伝える場」を起点に、同時進行で被災者の真冬の生活が続く能登半島の情報を気にかける。堀内氏は「(遠因死が)一人もいなくなっても、この活動はずっと継続するように、後継者に伝えています。何十年たって出て来るかもしれないわけですから、その扉だけはいつもカギを締めておかないようにしたいなと考えています」と思いを語った。

(デイリースポーツ/よろず~ニュース・北村 泰介)

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