震災で母の死に直面、医師志す「命に向き合う仕事を」 地元神戸に開業、母と同じ年齢に 阪神・淡路大震災

医師の道に進み、神戸・元町に乳腺専門クリニックを開業した尹玲花さん=神戸市中央区下山手通3

 阪神・淡路大震災で母を亡くした神戸市長田区出身の尹玲花(いんれいか)さん(44)=東京都港区=が、医師となって地元で開業する夢をかなえた。中学3年生で突然、最愛の母の死に直面し「命に向き合う仕事を」と医師を志した。病院勤務を経て独立し、昨年12月、神戸・元町に3カ所目となる乳腺専門クリニック「マンマリアコウベ」を開いた。「母が亡くなった年齢になり、初心を忘れず医療に携わる」と誓う。(井川朋宏)

 母の英子さん=当時(44)=は神戸市長田区水笠通で喫茶店を営んでいた。「明るくてよく笑い、周りに人が集まる。太陽のような存在だった」と尹さん。休日はよく2人で三宮に買い物に行き、食事をした。礼儀に厳しく、学習塾やバレエ、水泳といった習い事をよく応援してくれた。

 1995年1月17日。英子さんはいつもと同じ午前5時過ぎに家を出て、開店準備を始めた。尹さんは長田区菅原通の自宅で祖母と父、兄2人とともに寝ていた。激しい揺れで布団の上に大きなタンスが倒れてきた。けがはなかったが、外れた玄関扉の向こうに倒壊した家屋が見えた。周囲の家は崩れ、路地はがれきで埋め尽くされた。「助けて」という声も聞こえた。

 外に出て30分ぐらいたったころ、ガスの臭いが立ちこめ、火の粉が空から降ってきた。祖母と手をつなぎ、急いで近くの御蔵小学校へ。自宅周辺は間もなく火の海と化した。

 「お母さんはだめだった」。数日後、車に乗せられ、父から告げられた。店がつぶれ、圧死だったという。向かった先はつぶれた店の跡だった。がれきの中から運び出され、シートで覆われた遺体から足先がのぞいていた。分厚い靴下を履き、カイロを張っている。「お母さんだ」。絶望し、泣き崩れた。

 長田高校に進学し医師の道を志した。「自分の経験に意味付けをしたかった。母を亡くし、惨めな自分が嫌だった」。猛勉強して1年の浪人を経て愛媛大学医学部に合格。当時珍しかった「乳腺外科」を志望し、卒業後は聖路加国際病院(東京)で10年余り勤めた。

 結婚し、1男1女を出産。2017年に東京・築地にクリニックを開業した。名称は乳房と聖母マリアをかけた造語「マンマリア」に。22年には東京・立川にも開院し、ほかの女性医師との縁もあって神戸に3カ所目を開いた。院内は柔らかい雰囲気の空間で、患者との対話を心がける。

 「突然家族を失い、その衝撃が人生にどう影響するのかも経験した。そんな私だから、病のショックを受けた後も長く寄り添える存在でありたい」。震災が医師としての原点だという。

 今月1日、神戸市西区にある英子さんの墓前に神戸での開業を報告した。17日はいつも通り築地のクリニックで仕事に励む。母も特別な過ごし方をしないことを望んでいると思うから。

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