雅子さま 被災した子供たちにご心痛…2月にも天皇陛下と能登半島に慰問へ

昨年6月の全国植樹祭で、雅子さまは子供にやさしくお声がけを

「天皇陛下と雅子さまは、元日以降、報道や政府からの情報をつぶさにご覧になっています。多数の犠牲者、安否不明者が出ていることに、非常にお心を痛められているそうです」

宮内庁関係者はこう語る。

新年早々に発生した能登半島地震は、北陸地方に甚大な被害を及ぼした。震源になった石川県では、津波や家屋倒壊などのために、15日14時の時点で死者222人、安否不明者が22人と、被災地を覆った深い悲しみに、両陛下も自分のことのように悲嘆に暮れられている。

「避難後に発生する災害関連死が徐々に増加している状況が報じられており、両陛下は一刻も早く被災者が直面する困難が除かれることを強く願われています。昨年10月に交流された方々も被害に遭われており、両陛下の悲しみもいかばかりか……」(前出・宮内庁関係者)

昨年10月、天皇陛下と雅子さまは金沢市を訪問され、「いしかわ百万石文化祭2023(第38回国民文化祭および第23回全国障害者芸術・文化祭)」開会式に出席されている。

開会式のステージで演奏し、両陛下と懇談したピアニストの黒崎菜保子さんは、本誌1月5日発売号の取材に応じている。このとき黒崎さんは、珠洲市で建物の下敷きになった親戚の安否がわからず、夫が現地に向かったことを明かしていた。その後の状況について、黒崎さんは静かに話してくれた。

「結局、建物の下敷きになってしまった親戚は助かりませんでした。珠洲市は壊滅的で、8割近い建物が倒壊していると、帰ってきた夫と息子が写真を見せながら話してくれました。

珠洲へ向かう道路は大変なことになっていて、陸の孤島のような状況だと……行方不明の方が見つかるのはこれからだと思います」

■心配されている子供たちへのケア

能登半島地震の悲劇は、子供たちにも苦しみを広げている。珠洲市では、押し寄せた津波のために、高校生の兄弟の父である漁師の男性が亡くなったことも報じられている。今後の捜索状況によっては、親を亡くしたことが判明する子供たちも増えてくる懸念が高まっているのだ。東日本大震災による震災遺児は、あしなが育英会が2012年に発表した統計では2千人を超えたという。

「雅子さまはこれまでも恵まれない子供たちの存在に心を痛められてきました。能登半島地震で被災した子供たちのことも、大変憂慮されています。安否不明者の捜索は続いており、災害関連死も増えています。子供たちの心身に対するケアが十分になされているのか、雅子さまも心配されているそうです」(皇室担当記者)

雅子さまは、震災遺児や被災した子供たちとご交流を重ね、具体的な支援に取り組まれてきた。

「東日本大震災の発生後、被災地を訪れるたびに遺児への支援について熱心に質問されていました。皇太子妃時代の2013年には、復興支援活動を行う被災3県の中高生たちのイベントに出席され、2015年にはその中の高校生5人を東宮御所に招かれています。天皇陛下のご即位に際しても、子供の貧困に関する基金などにも5千万円を寄付されています。

災害によって厳しい状況に陥った子供たちに寄り添い、持続的に支えていきたいという雅子さまのご姿勢は、一貫しているのです。今回の地震に際しても、一刻も早く現地で子供たちを励ましたいとお考えになっていることでしょう」(前出・皇室担当記者)

能登の地には、新婚時代からの思い出が詰まっている。ゆかりの人々や施設が被災している光景は、おつらいことだったはずだ。

「ご成婚翌年の1994年、10万人を超える県民が、両陛下をひと目見ようと沿道を埋め尽くした場面もありました。その4年後に再訪された際には、白山市にある石川県ふれあい昆虫館をご視察。大きなチョウがお二人の頭に止まるというハプニングは、いまもご家族の語り草になっているそうです。

その昆虫館には大きな被害はなかったそうです。しかし、両陛下が訪問された場所には、複数被災したところがあったと聞いています」(前出・宮内庁関係者)

1994年の訪問時に視察された、七尾市にある障害者支援施設「青山彩光苑」も、建物に亀裂が入り、上下水道が不通となるなどの被害が出ているという。同施設のスタッフ・畑中浩樹さんは、被災後の状況についてこう語る。

「建物に亀裂が入り、雨漏りもあります。地震で配管がかなり壊れてしまっているようなので、水道の復旧にはかなり時間がかかるのではないでしょうか。さらに、市の焼却施設も壊れてしまい、ゴミの回収ができず、オムツをはじめ燃えるゴミがたまる一方です。

珠洲市や輪島市の状況はこちらよりもっと大変だと聞きます。ここは電気が通るだけありがたいです。まだ日々の生活で手いっぱいですが、施設の利用者や地域の方々に安全に過ごしていただくために、福祉サービスを続けていくことが使命だと感じています。

両陛下が来訪されたときの写真は、今も施設に飾られています。もし今後、両陛下から直接お見舞いがあったら、地域の大きな励みになると思います」

懸命に今を生きようとする被災者を直接慰問するために、天皇陛下と雅子さまはご検討を重ねられていると、前出の宮内庁関係者は明かす。

「被災者や家族を亡くした遺族たちを励まし、救援活動やライフラインなどの復旧に従事する警察や消防、自衛隊をはじめとする関係者たちもねぎらいたいと、両陛下は強く希望されているそうです。しかし同時に、“慰問によって災害対応に支障があってもいけない”というご意向も示されていると、11日に宮内庁の西村泰彦長官が定例会見で明らかにしました」

■ご訪問を急がない両陛下のご配慮

両陛下のご訪問となれば、安全な移動手段や滞在場所の確保に万全を期す必要がある。

「そのために数多く関係者が動員され現場に負担をかけるので、両陛下も拙速な被災地ご訪問は避けたいとお考えなのでしょう。

被害が深刻な輪島市や珠洲市などの奥能登は雪深い地域です。被災地まで向かう交通手段の確保など困難が多い状況下ですが、両陛下は2月にも現地を訪れることができないか検討されていると聞いています。

また天皇ご一家は日常的に居間などの光量を落としたり、節水に取り組まれていますが、新年以降はさらに徹底されているそうです」(前出・皇室担当記者)

12日には、石川県のほか富山県、新潟県にお見舞金を贈られ、15日には警視庁の創立150周年記念式典で、天皇陛下が被災地へお見舞いの気持ちを述べられるなど、両陛下は被災者のために動きだされている。こうしたご姿勢について、名古屋大学大学院准教授の河西秀哉さんはこう話す。

「皇室は『国民と苦楽をともにする』という象徴天皇の精神を体現され、被災した人々の苦しみを分かち合おうとなさってきました。

ご病気と向き合われてきた雅子さまと、支えてこられた天皇陛下は、被災者の感情をよく理解されているのでしょう。一人一人の国民に寄り添うことを意識されていることが、両陛下による一連のご対応から感じられます」

現地の被災者や遺族にお心を寄せ続けられる雅子さま。そして、心に傷を負った子供たちを抱きしめるかのように直接励まされ、明日を生きるための光を与えたいというご決意は揺るがない。

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