京アニ放火殺人、事件の背景に見えてきたのは…ロスジェネ世代の「一発逆転の呪い」 雨宮処凛さんインタビュー

煙を上げる京都アニメーションの第1スタジオ=2019年7月18日、京都市伏見区

 36人が亡くなった京都アニメーション放火殺人事件は25日に判決を迎える。未曽有の被害を生んだ事件はなぜ引き起こされたのか。青葉真司被告(45)と同じ、バブル経済崩壊後の超就職難時代に社会に出たロスジェネ(ロスト・ジェネレーション)世代の作家・活動家の雨宮処凛さん(48)は、被告の中に強固に巣くう「一発逆転の呪い」に事件の淵源を見るという。青葉被告の判決を前にインタビューに応えた。(共同通信=武田惇志、野澤拓矢)

インタビューに応じる雨宮処凛さん=2024年1月10日、東京都港区

 ▽一発逆転の呪い
 ―最初に事件の報道に触れたとき、どう感じましたか?
 非常に多くの方が亡くなったと知り、ただただ衝撃でした。このような残忍な事件を起こしたのは青葉被告の責任であり、少しも正当化できるものではありません。ただ、少しずつ被告の情報が報道されるにつれて、ロスジェネの中でも本当に条件が悪かった人物像が浮かび上がってきたことも事実です。それもまたショックでした。
 ―公判で青葉被告は、秋葉原無差別殺傷事件(2008年6月)の加藤智大元被告に共感したと発言していました。

東京・秋葉原の無差別殺傷事件の現場=2008年6月8日午後、共同通信社ヘリから

 加藤元被告と同じ種類の鬱屈を感じていたのではないでしょうか。08年前後は青葉被告も住み込み派遣を転々としていて、加藤元被告と同じような状況でした。当時は元被告が掲示板に書き込んだ内容に共感する若者が多くいて、とても複雑な思いをしたんですけど、青葉被告もきっとその中のひとりだったんでしょう。
 ―青葉被告は秋葉原事件直後の2009年から、小説を執筆するようになりました。
 新型コロナウイルス禍で困窮者支援をする中で、加藤元被告や青葉被告みたいなロスジェネと大量に出会いました。この20年ほど、寮付きの派遣社員として綱渡りのように全国を転々としてきたものの、コロナ禍で工場が止まったり現場がなくなったりして派遣切りに遭い、初めてホームレスになったというケースです。
 40代まで非正規でやってきたら、そこから生活を安定させるのは至難のわざです。そういう中で、リアリティーのない「(人生の)一発逆転」という発想が出てきたのかもしれません。それが、青葉被告の場合は「小説家になる」というものでした。これがバブル崩壊からの「失われた30年」の一つの帰結なのかもしれません。地道に努力しても報われないので、トリッキーな方法にすがることでしか人生をやり直せないという呪い。だからこそ、小説を投稿して落選したというのはすごい衝撃だったんだろうなと想像します。

2020年5月、逮捕当時の青葉真司被告=京都・伏見署

 ▽特別感をあおられ…
 ―雨宮さんの自伝(『生き地獄天国』ちくま文庫)にも、バンドを組んで一発逆転しようというくだりが出てきます。世代に特徴的な発想なんでしょうか?
 そう思います。今の40代後半は日本の良い時期を見ている最後の世代なんですよ。「頑張れば報われる」という言葉が通用していたことを知っている。バブル時代の、たくさん稼いでたくさん使うっていう価値観にも浸っている。でも、自分より下の世代と話をすると、普通の人生とか安定した人生を求めているんですよね。今の40代が10代だった時は、「普通の生活」は毛嫌いされていました。「おいしい生活」なんてキャッチコピーもあったように、普通や安定ではなくて、特別でスペシャルな自分、そういう生き方を過剰にあおられた最後の世代。そんな幻想を容易に抱けなくなった今も、喉から手が出るほど特別感がほしいという気持ちはあるんじゃないかな。
 でも30代以下は日本が停滞し始めてからの世代で、右肩上がりの状態を知らないので、そういう渇望感がないんだと思います。

インタビュー中に考え込む雨宮処凛さん

 ▽「だめ連」運動
 ―公判で青葉被告は、京アニ大賞に応募したことで何かしらの賞を取れたり、執筆依頼が来るようになったり、アニメ化されたりするようになると思っていたと述べています。
 1990年代には、そういう行動こそが「だめ」をこじらせるんだと指摘する、「だめ連」の運動がありました。
 彼ら「だめ連」は、だめなまま生きていくことを肯定しはじめたんです。一番よくないのは、だめをこじらせること。例えば過剰に上昇志向を持ったり、モテようとして頑張りすぎたり…当時言われていた「こじらせる」例の一つに「小説家を目指して新人賞に応募する」というのがありました。90年代カルチャーの中には、すでにそういうのはイタいという価値観もあったわけですが、青葉被告は屈託なく小説家を目指している感じがします。京アニに触れるまではサブカルチャー的なものと接点が乏しかったのでしょうか。

年末年始に行き場がない人を支援しようと設置された「年越し派遣村」の開村式=2008年12月31日、東京・日比谷公園

 ▽報われない頑張り
 ―ただ、高校時代は友人や彼女もいて、青春していたようです。その後、音楽系の専門学校に進みましたが、「時間をかけて教えすぎている」と反発して退学。その後、どこかの段階で見切りをつけてバイトなどを辞める行動を繰り返しました。一方で、公判では「頑張っても報われない」と口にしていました。
 1997年に定時制高校を卒業したのは最悪のタイミングでした。これが87年だったら、バブル真っ最中。バイトをしながら定時制高校を皆勤で出た青葉被告は「意欲のある若者」として就職には困らなかったでしょう。
 その後、彼はいろいろなバイトを転々していますが、いくら頑張っても時給は対して上がらないんですよね。それなのに正社員並の責任を押し付けられていく。当時はそうしたアルバイトの搾取が始まった時代で、このことはまだ社会問題にもなっていませんでしたが、青葉被告も悔しかったのではないでしょうか?
 このように90年代は、非正規雇用の矛盾が個人にしわ寄せとして現れてきているのに、社会的に注目されない時期でした。むしろ「フリーターは怠けてて、甘えててやる気がないんだ」とずっとバッシングされていた時期です。青葉被告の「報われない」という気持ちにはそうした背景があるのだろうと思います。
 私も1994年から99年までフリーターでしたが、世間の冷たさや無理解は感じていました。フリーターは「夢追い型」とか「モラトリアム型」などと分類され、労働問題として語られることはなく、心理学的な分析ばかりされていたんです。「若者は理解不能なモンスターだ」というわけです。でも実際は、みんな氷河期で就職できなくて働いているのに…。結局、社会問題だと気づかれるまで10年くらいの時差がありました。
 青葉被告の場合、コンビニに約8年間も働いていたわけですが、もし正社員だったらそれなりの実績になるはずですよね。でも「フリーターを8年間」と履歴書に書くと、それはマイナスの評価となってしまう。当時はまだ若者の就労支援もないし、条件が悪い時に社会に出てしまった。実際、このころに社会に出た人が、失った時間を取り戻せていないというのが、困窮者支援の場で活動している実感です。

“年越し派遣村”で炊き出しに列をつくる人たち=2009年1月2日夕、東京・日比谷公園

 ▽寄る辺ない人たち
 ―青葉被告のような悪条件にあえぐ人たちは多いとのことですが、一方でほとんどの人は事件を起こさずに済んでいると思います。差はどこにあるのでしょう?
 青葉被告の公判でも、友達の話が出てこないですよね。特に、事件前の数年間。彼に一人でも友達がいたら、例えば京アニのアニメの話をしながら(オタクの趣味を深める活動を指す)オタ活みたいなことをして楽しく過ごせたかもしれない。
 ロスジェネだと職業人としての自己実現が難しいので、推し活で人生を充実させる人も多いんです。もし彼に友達がいて、「京アニが自分の作品を盗作している」って話をしたら「それ妄想だよ」って笑い飛ばされて終わったんじゃないでしょうか。でも、孤立して脳内の自分と会話するだけになると、どんどんおかしい方向に行ってしまう。
 一方、彼のように職を転々とする中で友達ができるかっていうと、なかなかできないですよ。コロナ禍でホームレスになったロスジェネから支援団体にSOSの連絡が来るのは、助けてくれる人間関係がないからです。実家とも、地元の友達とも関係が切れてしまっている。住み込みで働いて、半年や1年で全国を渡り歩いていく生活が10年以上続いていたりするからです。製造業の派遣を解禁したことによって、こうした大量の寄る辺ない人たちが生み出されてしまった。
 ―青葉被告も高校卒業後、何度も引っ越しを重ねています。
 大人になったら主たる人間関係って仕事関連になりますよね。でも不安定な雇用だとそのつながりがなかなか作れない。地元の友達は結婚したり子どもができたりと、世代内の格差も生まれて疎遠になる人も多い。だから簡単に一人になる。

焼け焦げた京都アニメーション第1スタジオのらせん階段

 ▽女性を神格化
 ―青葉被告は犯行直前にためらいがあったと明かしています。しかし、華やかな京都アニメーションに対して「自分の20年間は『暗い』と考え、ここまで来たら『やろう』と思った」と述べています。
 (2021年に発生し、車内で男に切りつけられた女子大生ら10人が負傷した)小田急線無差別刺傷事件も、被告は犯行前にためらったけれど、それまでの人生を振り返り、「これまでの人生ってそんなに大事なものだったのか」と思い直して犯行に及んだと供述しています。
 多くの人には歯止めになるものがありますが、彼らにはなかった。そういう人が増えると、予想もつかない事件も増えるのかもしれません。ちなみに秋葉原事件の加藤元被告にはそれなりに友達がいたようですが、それでも歯止めにならなかった。彼の残した書き込みなどを見ていると、自分を無条件で受け入れてくれる理想の彼女のような、都合のよい人間関係を求めているように感じます。
 ―青葉被告も、京アニの女性監督に理想像を投影して、恋愛関係にあると妄想の中で思いこんでいましたが、「レイプ魔」などと呼ばれたとして負の感情を抱くようになりました。
 孤独の中ですがるものとして神みたいな存在だったんでしょう。その人との恋愛関係が成就すれば、自分の人生がすべて救済される、というような。
 一方、非正規でお金がなく女性に見向きもされない、そういう中高年男性像が一定数出てきたのも、ロスジェネからだと思います。彼らが生きていく道しるべが一つも作られていないという事情も、背景にはあるのかもしれません。
 ただ、ロスジェネ女性も非正規や貧困で大変な状況にいるわけですが、自暴自棄な事件は聞かない。女性の方が、弱音を吐いたり愚痴を言うのがうまいのかもしれません。一方、男性は孤立してもプライドが高くて弱みを見せられない。

バブル崩壊後、最安値を更新し続けた日経平均株価は8000円を割った(2003年3月31日)

 ▽男としての不全感
 かつて、そこそこ景気が良かった時代の男性は、働いてさえいれば結婚も家庭も承認も全部ワンセットで付いてきた。その点で辱めを受けることもばかにされることもなかった。そこが総崩れになった今、私と同世代の男性の一部は40代後半になっても半人前扱いを受けるような状況の中にいます。
 ひるがえって今、働いていなくても、稼げなくても人としての価値はあるのだという社会になっていればいいですが、なっていない。男は稼いでナンボという価値観が圧倒的な中では、そうできない男性たちがキツいのは当然です。
 ―そうした男性としての不全感が、一発逆転の発想にもつながっているんでしょうか?
 ロスジェネに限らず、苛烈な競争を勝ち抜くとか、一発逆転の成功を目指す生き方はもう無理だと思います。だから、そういうことはもうやめようってムーブメントはずっとあり続けると思う。それは日本だけじゃなくて、例えば中国でも「寝そべり族」というライフスタイルが2020年ごろからかなり流行しています。競争に疲れ果てた若い人たちが、最低限しか働かないようになって、マンションを買ったり結婚したりといった上昇志向を持たずに生きるっていうスタイルです。
 私の周りの同世代を見ても、仕事で自己実現とかは諦めて、趣味とか自分のやりたいことをやる人たちの方が幸福度が高そうです。確かに貧乏だったり結婚できなかったりってのはあるかもしれないですが。少なくとも、そういう人がたくさんいるってこと自体、世の中には全然知られていないですよね。
 40代男性となると、結婚して子どももいて働き盛りみたいな生き方だけが想定されています。もっとだめな40代男性がメディアに取り上げられればいいんです。週3日だけバイトして月7万円で生きています、とかね。50代になった「だめ連」の人なんかそうして楽しそうに生きている。そういう生き方がもっと紹介されてもいいのに、と思います。

雨宮処凛さんはロスジェネ世代に対する包括的なケアを訴えた

 ▽包括的なケアを
 ―今後どのようなロスジェネ対策が必要なのでしょうか。
 政府は2019年、氷河期世代を「人生再設計第1世代」と言い換えて、3年で30万人の正規雇用を目指すとぶち上げました。遅すぎた対応だったのですが、結局、3万人しか正社員になっていません。膨大な数の人がその策に乗れなかったわけです。それには企業側の問題もあるだろうけど、ミスマッチもあったと思います。
 要するに正社員化だけ言っていても、対策にならない。「今すぐ正社員としてフルタイムで働けます!」ってところに達しない人もたくさんいるということ。それぐらい、この30年で痛めつけられてきたロスジェネが多いのです。彼らはこの先、50代に突入していきます。
 働くことも難しい、青葉被告のような人をも包み込むケアの発想を取り込んだ対策をしないといけないフェーズに来ています。ロスジェネは、ひどい働き方で心身を病んだり、不安定雇用が続いてうつ病を発症したりした人が一定数います。さらには青葉被告のような生活保護の受給者や前科がある人、またひきこもり経験者なども少なからずいて、今や雇用問題だけじゃないのです。孤立して人間関係がゼロの人もたくさんいます。精神科医や出所者支援の専門家なども加わった包括的な対策で、これまでとは異なるアプローチをする時期に来ていると思います。

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