割礼の『PARADAISE・K』に触れ、そのロックバンドの姿勢を想う

『PARADAISE・K』('87)/割礼

1983年結成と、地元・名古屋だけでなく、今や日本を代表するサイケデリックロックの重鎮と言っていいバンド、割礼。今週は大分前に担当編集者から預かっていた、その割礼の1stアルバム『PARADAISE・K』を取り上げることにした。バンド名はもちろん知っていたのだが、これまでちゃんと音源に触れたことがなかったので、本稿作成にあたって、まずはネットでの資料漁りから始めたのだが、これといった情報になかなか辿り着かない。正直言ってここまで情報集めが大変だったのは、この連載においては、そうなかったことだ。その謎めいたところも含めて、このバンドに対して、筆者が思ったところ、感じたところを素直にテキスト化してみた。

公表されている情報が少なく謎多し

この割礼というバンド、なかなか不思議なバンドだ。何が不思議かというと、まずメディアでの露出が極端に少ない。昭和から平成にかけて、それこそメジャーに居た頃は雑誌などでそれなりに取り上げられていたのかもしれないが、今それらがどうであったのかをつぶさに確かめるのはかなり難儀なことだ。国会図書館であれば可能だろうけど、難儀さはそのレベルだろう。今、ネットで入手できる情報も少ない。一般的な知名度がそれほど高くないアーティストでも、昨今はファンや音楽マニア、レコードコレクターらが自身のブログなどで取り上げているケースが少なくないのだが(ついでに言っておくと、当コラムはそういうブログに大変お世話になっていることを正直に白状しておく)、今回ググってみても、思ったほどにはそういうサイトに当たらなかった。割礼のオフィシャルサイトもあるにはある。だが、情報は必要最低限に抑えられているようだ。意図して抑えているのかどうか分からないけれど、ライヴ情報とディスコグラフィ、そして自主制作音源の物販ページのみで構成されている。結成年月日やメンバー名、結成の経緯などが載ったバイオグラフィ的なものはない。2016年6月からTwitter(現X)をやっているようだが、筆者はやっていないため、その中身は分からない。ただ、2024年のライヴ情報はポストされているようなので、更新が滞っていることはなさそうだ。あと、Twitterには、“Japanese Psychedelic Rock Band "KATSUREI" Vo/G…宍戸幸司 G…山際英樹 Ba…鎌田ひろゆき Dr…松橋道伸 per…村瀬"Chang-woo "弘晶”とあるので、プロフィールはオフィシャルサイトではなくTwitterのほうに記載しているようだ。何故そうなっているのかは分からない。

バンドのバイオグラフィがよく分からないので余計に不思議に感じるところもある。『PARADAISE・K』が割礼の1stであることは、オフィシャルサイトのディスコグラフィにもそう書いてあるので、これは間違いないだろう。制作は1986年、リリースは1987年のようである。2ndアルバムは『LIVE'88』。タイトル通り、1988年の制作・発売とのことである。以降、3rd『ネイルフラン』(1989年)、4th『ゆれつづける』(1990年)がメジャーでの作品であり、ライヴ盤の5th『LIVE9091』(1991年)はインディーズ作品である。この辺りまでのリリースタームはわりとあるケースというか、1年に1枚というのはかなり順調だったと言っていい。そこまではいい。興味深く感じたのはこのあとで、5thのあとは『is it a half-moon or a full moon?』をリリースしているのだが、オフィシャルサイトのバイオグラフィに“1998年発売。多人数時代の未発表ライヴ音源。大阪ファンダンゴでの録音”とある。この“多人数時代”というのがよく分からない。Wikipediaを頼ると、旧メンバーの項目にパーカッションやシンセサイザーのみならず、チェロ、コントラバス、ヴァイオリンを担当していたメンバーの名前を見出すことができるので、その辺が“多人数時代”に当たるのだろう。そんな想像はできる。その辺りは5thまでの音源を聴けば分かりそうだし、レコードのインサートなどを見れば事の真相ははっきりするのだろうが、現状ではそれもなかなか困難だ。

さらにディスコグラフィを調べていくと、2000年以降のバンド単独作品としては、『空中のチョコレート工場』(2000年)、『セカイノマヒル』(2003年)、『星を見る』(2010年)、『のれないR&R;』(2019年)を発表している。“バンド単独作品としては”と付け加えたのは、この間にもオムニバスへの参加やスプリット作品を発表していたからである。それを加味すれば、1980年代に比べれば作品発表の間隔は空いたものの、きょうび、リリースインターバルはこんなものだろう。驚くほどに空いたとも思えない。それよりも、オフィシャルサイトを見て不思議に思ったのは、『星を見る』と『のれないR&R;』との紹介コメントである。『星を見る』では“2003年リリースの「セカイノマヒル」以来7年ぶりの6thアルバム。15分間におよぶ「リボンの騎士」を収録したサイケデリックロック超大作”とあり、『のれないR&R;』には“前作「星を見る」以来およそ9年ぶり2019年作品。いよいよ凄みを増してきたスローロックの極致的作品”とある。この2作だけがやけに説明的なのが、不思議というか、ちょっと面白い。音源がリリースされた時に販売元が付けた惹句をそのまま持ってきた──たぶんそんなところだろう。そう考えると、メンバー自身、自らの音楽性を明文化できてないのかもしれない。いや、あえて自分たちからはそれを明文化していないのだろうか。そんな想像もできる。割礼というバンドがどういうバンドなのか情報が少ないのもその辺りも関係しているのではなかろうか。やはり、謎が多い不思議なバンドである。

サイケ? パンク? ニューウェイブ?

その不思議うんぬんはいったん脇に置いておいて、1st『PARADAISE・K』を紹介しよう。当コラムでは“デビュー作にはそのアーティストの全てがある”という説を勝手に推しており、これまでも幾人かのバンド、アーティストで実証してきた。今回もそれに準拠しようというわけだ(勝手に言った説に準拠も何もないが…)。前述した『星を見る』と『のれないR&R;』の紹介コメントによれば、それぞれ“サイケデリックロック”と“スローロック”とある。オフィシャルサイトにそう書かれているのだから、それがメンバー発信かどうかはともかくとして、当人たちが認めているものだろう。ただ、『PARADAISE・K』についてはそれらのジャンルとちょっと赴きが異なるように思う。少なくともスローロックではない。M1「きのこ」からしてテンポが緩いのでその側面がないではないけれど、他の5曲はアップテンポだし、ビートも効いている。スローロック“も”あるといったところだろう。サイケデリックに関して言えば、そのM1でのディレイが深めのエフェクトには独特の浮遊感があって、これはサイケデリックロックと言えるものだとは思う。歌の背後でワウワウと鳴るギターを始めとして全体的に幻覚感はあって、不協気味のギターサウンドと相俟って、いい意味で気持ちが悪い。何よりタイトルがそれっぽい。ただし、今もネットに残る『星を見る』リリース時の宍戸幸司(Vo&Gu)のインタビューでは、“サイケはよく分からない”といった発言をしているようで、当時バンドが自覚的にサイケデリックロックをやっていたかどうかは不明である。現在はTwitterに“Japanese Psychedelic Rock Band”とあるので自覚的だろう。

レコードショップのサイトやレコードコレクターの方のブログの中には、この1stは“パンク”と語られているのも散見できる。個人的にはそれとも微妙に違う気がする。パンクというよりも“ポストパンク”、いわゆる“ニューウェイブ”の匂いの方が強いように感じる。もっと言うと、そのダークな雰囲気であったり、不協気味の旋律を選択していたりするところなどは、ポジティブパンクを感じるところではある。もっとも、本作のレコーディングは地元・名古屋のライヴハウス、HUCK FINNで行なわれたということで、その辺はパンクのDIY精神が発揮されていたという言い方はできるとは思う。M4「ゲーペーウー」ではブギー風、M5「ラブ?」はリフものR&R;と、ロックの文脈を抑えながら、オールドタイプとは異なった解釈を加えているのもパンクと言えばパンクだろう。M2「ベッド」以降、ソリッドなギターサウンド全開のM6「チュウイングガム」まで疾走感が持続していく辺りもパンクと呼べるものかもしれない。

ただ、同時期、メジャーデビューを果たしていた日本のパンクバンド、THE STALIN、LAUGHIN' NOSEらとは明らかに音楽性は異なる。Sex Pistols、The Clashなどのロンドンパンクとも、Ramonesらのニューヨークパンクともやはり違う。何と言うか、荒々しさに違いがあるように思う。パンク文脈で言えば、唯一(?)、ニューヨークパンクとして語られるTelevisionには近い印象はある。Televisionの『Marquee Moon』(1977年)での、単音弾きのギターのアンサンブルでサウンドが構築されている辺りがよく似ている。宍戸幸司もTelevisionを自身のフェイバリットバンドのひとつに挙げていたようだから、影響もあったのだろう。しかし、だからと言って、この時期の割礼が即ちパンクと結論付けるのも早計だろう。Television自体、Ramonesらのニューヨークパンク勢と密接な関係であったものの、その音楽をパンクのカテゴリーに入れるのは無理があるという見方もある。そこから考えれば、割礼も『PARADAISE・K』も簡単にパンクとは括れないものである。

当時のパンクとは一線を画す歌詞

歌詞は明らかに当時の日本のパンクとも初期パンクとも異なる。以下に『PARADAISE・K』収録曲の歌詞を記すが、本作には歌詞カードがないようで、これは筆者が書き起こしたものである。それゆえに、平仮名、カタカナ、英語などの表記違いはあるだろうし、同音異語があるかもしれない。また、聴き間違いもあるとは思う(大幅に聴き取りが困難だった箇所は掲載を見送った)。そこは予めご容赦いただきたい。楽曲で歌われていることを大掴みに捉えてもらう意図での掲載である。

《今宵限りの合言葉じゃなく 忘れかけてた合言葉じゃなく》《忘れられない夏の光と 思い出せない僕らの輝き》(M1「きのこ」)。

《喉は苦しく 僕は決して 声は出さない 生憎緩やかに》《あなたの影が キラキラ眩しく 光伸びるから 潜り込め 僕のベッドに》(M2「ベッド」)。

《夏の思影と 寝不足の昼下がり 目玉が割れる 痛む 手足が痺れる》《夏の夜の 苦し気な情景を 昨日も思っていた》《稀代の不幸と思ってほしいね》《星降る夜に 狂い咲いた 虚しいだけの 淫らなお前》(M3「夏の思影」)。

《競い合う悪癖病癖 競い合う悪癖病癖》《おやすみ かよわいゲーペーウー さよなら 素敵なゲーペーウー》(M4「ゲーペーウー」)。

《お前のために 死んでもいいし お前のために 別れてもいいさ》《僕の夜を 君に貸すから 夢の島へ 君をさらうぜ》《中途半端な 僕の理性は 空腹時の 悲しみだけさ》(M5「ラブ?」)。

《チュウイングガムの女高生 高校生 続けてほしい 僕が死んでしまうまで》《明日会おうね》(M6「チュウイングガム」)。

“Tokyo is burning”とか“No Future”みたいなことは綴られていない。当時のパンク特有の攻撃性は感じられないし、そればかりかロックならではのメッセージ性もおおよそ感じさせないリリックである。M4のタイトルは、旧ソ連の国家政治保安局の略称であろうが、だからと言って、そこに重ねた物言いがないばかりか、政治的な意図は見られない(たぶん)。文学的と言ってしまうと簡単だが、散文的、現代詩的な作風と言えるだろう。私的な内容であることは想像させるが、そう言い切れるものでもない。意味がはっきりと汲み取れるものではないが故に、受け取り方は聴き手によってさまざまだろう。少なくとも、この歌詞からいわゆるパンクロックを導き出すのは難しいことは間違いない。

こうしてサウンド面、歌詞面を探ってみても、パンクなのか、サイケなのか、ニューウェイブなのか、明確な線引きはできない『PARADAISE・K』であるし、この頃の割礼である。さて、本作以降、このバンドはどう進んでいったのかと言えば、これまた前述を参照すれば、サイケデリックロック、スローロックへと発展していたのだと考えられる。実際、『セカイノマヒル』(2003年)には、「ベッド」の別バージョンが収録されている。これが、かなりテンポを落としている上、重めのストリングスも配されていて、まさにサイケデリックロックな仕上がり。この辺を聴く限り、てっきりアンビエントな方向へ行ったものだとばかり思っていた。しかし、その後にリリースされたライヴ音源『LOVE?』(2019年)を聴いて軽く驚いた。ここには、「ラブ?」「ベッド」が収録されているのだが、テンポは『PARADAISE・K』収録版と大きく変わらないのだ。決して緩くなっていないのである。う~ん……掴みどころがない。無論ロックバンドに“こうあらねばならない”という決まり事はないので、何をどうしようとバンドの自由である。活動歴がよく分からないとか、それゆえにその変遷も含めて音楽性も捉えられないとか、それを不思議と思うのはこちらの勝手な話である。あらゆる部分において、バンド本意で活動しているという意味では、割礼ほどにロックバンドらしいロックバンドはいないのかもしれない。

TEXT:帆苅智之

アルバム『PARADAISE・K』

1987年発表作品

<収録曲>
1.きのこ
2.ベッド
3.夏の思影
4.ゲーペーウー
5.ラブ?
6.チュウイングガム

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