兵庫県西宮市の関西学院大に通っていた長男を亡くした山辺武子さん(78)=大阪府柏原市=は、孫の纏(まとい)さん(18)とともに初めて1月17日の東遊園地を訪れた。
息子を「一人で死なせてしまった」と悔やみ、これまでは息子のことを話せずにいた。だが、纏さんの大学進学を機に「伝えなければ」と心に決めた。
長男の哲夫さん=当時(22)=は大学近くの木造2階建て集合住宅に住んでいた。建物は地震で崩れ、1階の哲夫さんは下敷きになった。中学校の数学教師だった武子さんは息子が巻き込まれているとは思わず、学校に出勤した。職場で知らせを聞いた。
幼い頃からやんちゃで正義感が強かった。弟が嫌がらせを受けると、年上にも立ち向かっていった。大学ではアメリカンフットボール部に入り、多くの仲間に恵まれた。葬儀には友人らが西宮から大阪まで歩いてきて参列し、ひつぎを担いで見送ってくれた。
「教師として、子どもたちに語り継がなくては、ということは分かっていた。なのに、話せなかった」。震災後の二十数年間、学校はおろか、親族で集まる場でも哲夫さんの話はほとんどしなかった。
転機は昨年12月。纏さんが大学進学で春には関西を離れることになった。纏さんに同世代で亡くなった息子のことを伝え、一緒に手を合わせるため、神戸へ行くと決めた。
震災を経験していない纏さんも、口に出せない葛藤を抱えていた。「悲しむ祖母の姿を見ても実感が湧かず、ずっと距離を感じていた」
初めて東遊園地で迎えた命日の朝。「来てよかった。話せてよかった」と涙ぐむ武子さんの隣で、纏さんが「思いは届いているはず」と背中をさすっていた。(小野坂海斗)