最高の「名監督になった超名選手たち」5名

「名選手、名監督ならず」は良く聞かれるフレーズだ。プレーヤーとして素晴らしくても、それがマネージャーとして能力を発揮できるかどうかは必ずしも一致しない。

今回は「名選手であったが名監督にもなった」スーパースター選手を5名ピックアップした。

フランツ・ベッケンバウアー

先日亡くなったフランツ・ベッケンバウアーは、おそらくサッカー界で最も偉大な選手であり、そして監督であった。どちらの立場でもワールドカップを制覇した経験を持つのは、まだ歴史上3人しか存在しない。

「デア・カイザー」(皇帝)と呼ばれた彼は革新的なスイーパー・スタイルをとり、1960年から70年代にかけてディフェンダーの役割を現代化した。バイエルン・ミュンヘンを復興させ、数え切れないほどのタイトルを獲得した。

選手としてリベロという攻撃的なディフェンダーのポジションを作り上げた彼は、監督になってもタッチライン際で試合を読んだ。1986年のワールドカップでは西ドイツを決勝へと導き、そして1990年大会では優勝を果たした。

カルロ・アンチェロッティ

史上最高の監督の一人と言っても過言ではないイタリアの名将カルロ・アンチェロッティ。どこの国のクラブに行っても成績を残す、その手腕はこれまでのサッカー界でも見られなかったものだ。

チャンピオンズリーグを4回制覇したという記録を残しているものの、過小評価されている。それは彼が決して自分を目立たせようとせず、無理にカリスマ性を高めようともせず、選手を最大限に生かすことだけに集中しているからだ。

しかも80年代にパルマをセリエAへと導いた名選手であり、ローマではスクデットも獲得。ミランではあの名将アリゴ・サッキの下でプレーし、1992年に引退するまで多くの栄光を手にした。

ジネディーヌ・ジダン

ジネディーヌ・ジダンが選手としていかに優れていたか、それは誰もが知っている。シルキーとしか言いようのない繊細なトラップ、対面する相手を加齢に抜き去るドリブルは、90年代のサッカーのハイライトである。

古巣であったレアル・マドリーで監督に就任した彼は、他のクラブでの指揮経験がなかったことから賛否両論の評価だった。しかしそれからリーガで2回、チャンピオンズリーグで3回の優勝を果たした。

彼は現役時代と同じく、就任するべきクラブやタイミングを見極める目を持っており、そして監督として目立ちすぎないという稀有な存在だ。アンチェロッティの後継監督と言ってもいいだろう。

ディディエ・デシャン

ジネディーヌ・ジダンと同じくフランス代表の黄金期を支えた守備的MFであったディディエ・デシャン。小柄な体格でありながらも決意あるプレーで中盤を締めるバランサーであり、リーダーであった。

その才能は彼が指揮官になってからも生かされた。厳しさを持ったチームマネジメント、現実的なタクティクス、そして選手を活かすためならつまらない試合をも良しとする決断力。

誰かの意見に左右されず、さらに自身の持っているものに固執しない、洗練されたリーダーシップを持つ。選手としても監督としてもワールドカップを制覇した3人のうちの一人である。

ジョゼップ・グアルディオラ

全員高偏差値!桐朋、浅野、筑波大附属!進学校を経てJリーガーになったクラブユース出身5選手

バルセロナの関係で言えばこれまでヨハン・クライフの名前が上がっていただろうが、今やジョゼップ・グアルディオラのほうが指揮官として歴史上重要な存在となったことは間違いない。

選手としてバルセロナの下部組織から輩出され、世界的なプレーメーカーとして活躍。ヨハン・クライフ監督が率いる「ドリーム・チーム」の中で重要な役割を担い、中盤の要となった。

そして引退後には指導者になり、バルセロナBを昇格に導き、トップチームも多くのタイトルを獲得させた。その攻撃的なアプローチと毎年戦術を柔軟に変化させる探究心、それを実現させる選手の引き入れなど、完全無欠の司令官だ。

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