被災者支えたドラム缶の鐘鳴らし 芦屋・西法寺で犠牲者悼む法要 阪神・淡路大震災29年

震災を語り継ぐためにつるされたドラム缶の鐘を鳴らす参列者=芦屋市茶屋之町、西法寺

 阪神・淡路大震災時に地域住民ら約70人が避難した兵庫県芦屋市茶屋之町の西法寺で17日、犠牲者を悼む法要が執り行われた。屋上には避難生活を象徴するドラム缶でつくられた鐘があり、参列した約30人が思いを込めてついていった。

 当時、寺にあったり、大阪市内の寺から送ってもらったりしたドラム缶を境内に置き、仮設風呂用の湯を沸かし、暖をとった。数々のドラム缶は、一部が鉄くず状となるまで使われ、被災者を支えた。

 鐘をつくったのは、芦屋市内に住んでいた父守さん=当時(74)=と母愛子さん=同(68)=を亡くした工務店経営の藤野春樹さん(71)=同市。2003年、寺の建て替えを担った際、震災時にも奔走した当時の住職上原泰行さん(08年死去)や妻照子さん(72)と相談し、新たに調達して釣り鐘にした。

 「グォーン」

 午前5時46分過ぎ、泰行さんによって「追悼之鐘」としたためられた鐘の音が、夜明け前の空に溶け込んだ。その後、上原大信住職(46)が読経し、今月1日に地震が発生した能登半島にも思いをはせながら、参列者と犠牲者を悼んだ。

 鐘は震災の追悼だけでなく、地域の防災学習などで「2万人くらいが鳴らしてきたと思う」と照子さん。設置から20年を越えて色は落ち、一部は穴が開く寸前まで薄くなっており、震災30年となる来年は藤野さんが新調した鐘で迎える予定だ。

 照子さんは「ドラム缶の鐘を通し、命は尊いこと、守れる命があることを伝えていきたい」。藤野さんは「最初は鐘にドラム缶を使っていいのかと思ったが、今はつくことが震災の日の習慣になった。震災は忘れようもない。新しい鐘で引き継いでいけたら」と話した。(大盛周平)

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