「城東」ってどこまで? 青森・弘前市の地区名、市民の認識にずれ 区画整理でのエリア拡大影響か

 あなたが思う「城東」はどこまで? 弘前市立中央公民館のX(旧ツイッター)担当者が同市の城東地区の範囲を問うアンケートを行ったところ、実際に「城東」の地名がつく場所にとどまらず、国道7号を越えて弘果弘前中央青果(同市末広)やユニバース城東店(同市早稲田)までを含む広範囲と答えた人が回答者の8割以上に上った。ただその中でも、微妙に範囲が違う3パターンで意見がばらつき、人によって城東の形が違うことが浮き彫りになった。

 アンケートは四つの選択肢を提示した。(1)は弘前駅城東口から国道7号までの範囲。(2)は国道7号を越えて田園地区や早稲田地区なども加えた。(3)は(2)にドン・キホーテ弘前店などがある国道102号の南側を追加。(4)は北側で堅田や和泉の一部、南側で小比内や運動公園地区も入れた。

 結果は(3)が28.6%で最多だった。しかし(2)が27.7%、(4)が25.7%で大きな差は開かなかった。(1)は18.1%にとどまったが、一定の支持を得て存在感を示した格好だ。

 アンケートを発案した公民館の担当者の男性(46)によると「日々の雑談の中で人によって城東の範囲が微妙に違う」ことが分かったため、Xで意見を聞こうと思い立った。9日間で343人が回答し、「国道7号より駅側が昔からの城東、平川側が新しい城東」「(1)に国道102号沿いを含んだ地域だけ」「個人的には扇町のオフィス・アルカディアあたりも含む」などのコメントが寄せられた。

 人によって城東の範囲が違う理由について担当者の男性は「城東地区の成り立ちが関係しているのでは」とにらむ。

 一帯は1968年から始まった宅地造成でできた地域。多くは田んぼだった。84年に高田地区から末広地区周辺までが「城東第四地区」、97年に早稲田地区周辺までが「城東第五地区」として整備が始まった。区画整理に伴って「城東」がどんどん東へ広がっていったことが分かる。現在の「田園」「末広」の地名は95年、「早稲田」は2005年にできた。

 一帯では新しい住宅地や大型商業施設の集積が進む。「城東」の地名には新しい住宅街というイメージがあるようだ。早稲田中央町会の町会長・中村敏夫さん(77)は区画整理前からの地名だった「種本」よりも当時は「第五城東」と宣伝されていたことをよく覚えている。中村さんは、今回のアンケート結果に「城東とひとくくりにせず、『早稲田』で覚えてほしい」と地元愛を強調した。

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