日本と韓国の「未来志向な関係」とは何だろうか 将来像の共有へ模索続く 考えの違いから理解を深められるか

福岡県大牟田市の甘木公園に立つ、朝鮮半島から徴用され命を落とした徴用工を悼む慰霊碑と禹判根氏=2023年12月

 日韓関係を語る上で、重要なキーワードとなっているのが「未来志向」だ。両国の首脳が1998年に署名した「日韓共同宣言」では、21世紀に向けた新たな2国間関係が示され、未来志向の両国関係がうたわれた。
 宣言から25年。日韓は交流を深化させる一方で、歴史問題では対立を繰り返してきた。しかし、2023年5月に韓国で尹錫悦政権が発足し、一時は「戦後最悪」とも言われた日韓関係は改善に向かっている。
 ただ、歴史問題の火種が消えたわけではない。日本が韓国を植民地支配したという過去を持つ両国にとって「未来志向」の関係とは何なのだろうか。(敬称略、共同通信=佐藤大介)

日韓共同宣言に署名後、握手する韓国の金大中大統領(左)と小渕恵三首相=1998年、東京

 ▽5年間で交渉250回
 有明海を望む小高い丘にある、福岡県大牟田市の甘木公園。その一角には、戦時中に朝鮮半島から同市の三井三池炭鉱などに徴用され、過酷な労働と劣悪な環境の中で命を落とした人を悼む慰霊碑が立つ。高さ約4・3メートルの御影石には「徴用犠牲者慰霊碑」との文字が彫られている。
 碑は1995年に建立され、費用を三井系の企業3社が拠出し、約50平方メートルの用地は大牟田市が無償で貸与した。市民団体「在日コリア大牟田」の代表で、碑の建立に尽力した禹判根(85)は碑の意義をこう話す。「行政と企業、市民が一体となって歴史に向き合う姿勢を示している」
 韓国南部・巨済で生まれた禹は、4歳で日本に渡り、20歳から大牟田市に住む。徴用で日本に来た男性が、炭鉱で亡くなった友を思って涙する姿に胸を打たれ、元徴用工の資料収集を始めた。遺骨の多くが祖国に戻っていないことを知り、慰霊碑の建立を思い立った。
 企業との交渉は、5年間で250回。
「最初は名刺を渡してもゴミ箱に捨てられた。それでも、金銭的な補償ではなく、慰霊をしたいと一貫して訴え続けた」
 禹の思いは企業の担当者を動かし、最後には味方となって本社と折衝してくれたという。
 碑の前では慰霊祭が毎年行われ、市や企業の関係者も参加する。一方で、2015年には碑に塗料が塗られ「うそ!!」と読める文字を吹き付けられる事件もあった。
 碑を見つめながら、禹はこう話した。「国や個人の間では、考えの違いから、いろいろな山が必ず来る。努力と信頼で乗り越え、未来をつくっていくしかない」

「政治」グループで発表する慶応大2年で釜山出身の曹祥銘氏(左)=2023年12月

 ▽偏見をなくすために
 未来を担う若者たちが、今後の日韓関係を考える取り組みもある。慶応大の学生団体「KNOCK」は、政治や文化、教育などの分野で日韓の課題や解決策を議論している。モットーは「自分の意見を絶対視せず、相手を尊重すること」。日韓にルーツを持つ学生約50人が参加する。
 テーマごとに7~8人のグループに分かれ、現状を分析し、関係発展のための方策についてプレゼンテーションする。「政治」のグループに加わった韓国南部・釜山出身で慶応大2年、曹祥銘(26)は「議論の結論は一つでなくていい。多様な意見を肯定できる関係をつくるべきだ」と発表した。
 「重要なのは、良好な日韓関係を維持すること。若い世代が互いの文化を消費することは、関係の安定につながる」。曹がそう話す一方で、ほかの参加者からはこんな声も上がる。
 「互いの違いを知ることが理解につながる」「感情的な議論を避けるにはどうしたらいいか」
 参加者は「論理性」「実現可能性」などの項目でプレゼンを評価し、最も評価の高かった内容を実践していく。団体の代表で2年の越路華(20)は「率直な声を知ることは、偏見をなくすことにつながる。活動の趣旨はそこにある」と言う。「歴史のとらえ方が国によって違うのは仕方ないが、将来像を共有することはできる。それを模索するのが、若い世代の役割だと思う」

内田雅敏弁護士=2017年撮影

 ▽大人の責任
 戦後補償問題に詳しい弁護士の内田雅敏(78)が指摘するのは、教育の大切さだ。「謝罪と金銭的な給付だけでは歴史問題の解決にはならない。被害者への追悼を中心とした後世への歴史教育が、最も重要だ」
 日本政府は1965年の日韓請求権協定で賠償問題は「解決済み」との立場だが、内田は「協定によって歴史問題が終わったと考えるのは間違いだ。過去への理解を深めていくことが、未来につながっていく」と述べ、民間交流の積み重ねを重視する。
 では、交流によって相互理解はどこまで深まるのだろうか。韓国・峨山政策研究院研究委員の崔恩美(41)は「一時的な文化体験にとどまらず、なぜ韓国が歴史問題に敏感なのか考えることも大切だ」と話す。
 単に両国を往来する人が増えただけでは、お互い認識は変わらない。崔はこう強調した。「たとえ考えが一致しなくても、根本的な問題に向き合うことが、日韓の未来志向には不可欠。それを若い世代に示すことが、大人の責任だ」

インタビューに答える韓国・国民大日本学科の李元徳教授=2023年12月、ソウル

 ▽両国で「戦略協議体」の設置を
 最後に、日韓関係に詳しい韓国・国民大日本学科の李元徳(イ・ウォンドク)教授に、両国関係の展望について聞いた。
 「1998年に当時の金大中大統領と小渕恵三首相が署名した日韓共同宣言は、歴史を見据えつつ未来に向かって歩むという画期的な内容で、その後の日韓関係の基準点になっている。日韓双方にとって「未来志向」は望ましいものだが、韓国側が過去の直視を前提としているのに対し、日本側は過去の問題は解決済みとの立場で、その差が摩擦や対立を生んできた。
 尹錫悦政権下で日韓関係は改善されたが、韓国では、徴用工などの歴史問題で日本に譲歩しすぎているとして、対日政策に不満を抱いている世論が多数派だ。
 一方で日本側は、政権交代などで方針が変わるのではないかと不安を感じる。未来に期待しながらも、不満と不安があるのが日韓の現状だ。
 韓国は政治的にも経済的にも力をつけて、日本の影響力が強かった「垂直的関係」から、より対等な「水平的関係」に変化した。さまざまな分野での交流が進む中で、歴史問題を強く意識する雰囲気は薄れていくと思う。政治家が日本との対立をあおり、支持を集めようとすることは、もう通用しなくなる。
 だが、日韓が歴史問題に触れず、未来のことだけを語る関係になるというのは韓国では受け入れられず、現実的ではない。意見の対立がなくなる可能性はほとんどなく、むしろ必ず起こりうることと考えるべきだろう。
 そうであるならば、対立が起きても拡大させず、できるだけ小さくするよう日韓での戦略的な協力や工夫が必要となってくる。関係が悪化しても当局間での対話チャンネルを維持することが重要で、民間を含めた日韓の「戦略協議体」を設置することが必要だ。
 そこで話し合うのは安全保障や経済分野が中心となるが、それに加えて歴史問題を管理することも大切だ。政権交代など政治情勢が流動化しても、それに振り回されない日韓関係を模索することが求められている」
   ×   ×
 1962年韓国・大田(テジョン)生まれ。ソウル大卒。東大大学院で博士号(国際関係論)

福岡県大牟田市の甘木公園の「徴用犠牲者慰霊碑」前に立つ禹判根氏=2023年12月

 ▽メモ「日韓共同宣言」
 日本と韓国が1998年10月8日に発表した宣言。「日韓パートナーシップ宣言」とも呼ばれる。当時の小渕恵三首相と金大中(キム・デジュン)大統領が署名した。小渕氏は宣言で、日本の植民地支配に関し「韓国国民に多大の損害と苦痛を与えた歴史的事実を謙虚に受け止める」と表明し「痛切な反省と心からのおわび」に言及した。金氏は小渕氏の歴史認識を評価した上で、過去の不幸な歴史を乗り越え、未来志向の関係を発展させるため、互いに努力する必要性を強調した。

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