「行きたいよ一緒に。でも…」 2日足らずで下した親子の大きな決断 親元を離れた中学生の集団避難 能登半島地震 

能登半島地震発生から18日が経ちました。被災者の生活再建に向けた取り組みが続く中、石川県輪島市の中学生の集団避難に密着しました。

輪島市の輪島中学校。廊下でかがむのは先生たちです。

(下和田歩記者)
「集団避難する中学生のために教科書の整理が行われています」

避難先でも勉強が出来るよう教科書をまとめていました。17日、多くの生徒が学び舎を、そして親元を離れました。

中学1年の加川桜馬さんも母・千春さんと離れて暮らすことに。出発前日の16日、桜馬さんは荷物を取りに自宅へ。登下校で歩いてきた道には大きな亀裂が入っています。

崩れた地面を超えて自宅へ。

(母・千春さん)
「靴脱がんでいい。そのまま上がります
(Q.このまま上がるんですか?)怖いですから」

手つかずの状態の我が家。桜馬さんが手にしたのは。

(母・千春さん)
「きょうは学校で使うパソコンを取りに。
(Q.取りに来るものはこれくらい?)そうですね。もう車にものらないし、後から取りに来ようかと」

避難先に持っていくパソコンと部活で使うテニスラケット。持っていくのは、最低限に。

親元から2か月ほど離れることになる集団避難。輪島市から約120キロ離れた白山市の宿泊施設で生活することになります。

この集団避難には、輪島市の全中学生の6割にあたる約250人が同意しましたが、案内から回答までの期限は、2日足らずでした。

(母・千春さん)
「(Q.連絡が来た時、家族で行くか行かないか話し合いはあった?)あったね。本人の意思で決めようかと思ったんですけど、結局行くって言ってね」

(桜馬さん)
「行きたくないっていうのもあったけど、みんなが行くから行く」

本当は…

(桜馬さん)
「お母さんとか身内の人がここに集まってきているから、こっちのほうが安心する」

(記者)
「Q.地元が良いっていう思いはある?」

桜馬さんは小さくうなずきました。

母「本人も口には出さないけど、不安でいっぱいだと思う」

お母さんが願うのは1つだけ。

(母・千春さん)
「楽しく。『地震を忘れて』と言っても忘れないだろうけど、忘れて生活してほしいです。ただ楽しくいてくれればいい。行きたいよ一緒に。でもね綺麗にしなきゃいけないし、住まいも見つけなきゃね」

今は離れて暮らすことが一番いい選択だと信じる親子。

(母・千春さん)
「(Q.寂しくなりますか?)安心できるし、寂しくないかな、多分。行ってみないとわからん。初めての事なんでね」

(桜馬さん)
「(Q.桜馬くんはどう?)まあ、ちょっとだけ」

帰り道、能登の吹きすさぶ冷たい風が親子の足をはやめました。

この集団避難の理由の一つには、ライフラインの復旧が輪島市で進まないことがあります。

また、輪島市から約60キロ離れた七尾市でも震度6強の揺れを観測し、約2万世帯、市内全域が断水しています。

(七尾市 上下水道課・佐々木仁寛課長)
「漏水箇所が多すぎて、その対応に苦労している。マンパワーが足りない」

1月14日時点では名古屋市からも職員が応援に入り、30人態勢で復旧に当たっていました。

(名古屋市 上下水道局・平野芳茂さん)
「1000人規模の応援をもらって、復旧に当たらないといけないくらいの被害」

懸命な作業。しかし、いまも復旧の目処は立っていません。

(七尾市 上下水道課・佐々木仁寛課長)
「皆さんに水を届けられないことが私もつらい…すみません」

そして迎えた17日。集団避難の日です。

(桜馬さん)
「死ぬなよ」

(母・千春さん)
「死なん死なん。大丈夫。逃げます。
本人も多分口には出さないけど、不安でいっぱいだと思いますけどね」

午前9時すぎ。生徒たちを乗せたバスが出発しました。

(母・千春さん)
「本人も頑張るから私も頑張って、1回か2回くらい顔を見に行きたいな」

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