王貞治さん以来2人目 “台湾野球の父”近藤兵太郎が「台湾棒球名人堂」に認定 松山商業・初代監督

みなさんはこの人物をご存じでしょうか。
愛媛県の松山商業野球部の初代監督で「台湾野球の父」とも呼ばれている近藤兵太郎です。
近藤監督がこのほど台湾で「野球殿堂」に選出され、関係者からは喜びの声が挙がっています。

愛媛県松山市出身の野球監督近藤兵太郎。
今月12日、台湾球界で活躍した人をたたえる「台湾野球殿堂」に選出されました。

日本出身者の認定は王貞治さん以来の2人目です。
兵太郎は、松山商業高校の初代野球部監督として、チームを春夏合わせて8回甲子園に導いたあと、生活の拠点を当時、日本統治下だった台湾の嘉義市に移します。

そこで、嘉義農林学校=通称「KANO」の野球部監督に就任。
1931年には、当時、台湾代表枠が設けられていた甲子園で、チームを準優勝に導いた功績から、「台湾球界の父」と呼ばれています。

18日は教え子らで作る「近藤兵太郎をたたえる会」のメンバーが県庁を訪れ、中村知事に認定を報告しました。
同会の会長で、およそ70年前、新田高校で近藤監督に指導を受けたという林司朗さんも喜びを語ります。

(林さん)
「これはもう本当に我々としては嬉しい。今の台湾の野球の形頂点が近藤先生。当時嘉義農林学校で作ったやり方が今現在(残っている)」

しかし、嬉しい知らせの裏でこんな思いもあるそう。

(林さん)
「先生はああいう風にまつり上げられるとか、あんまり好きではない。もし近藤先生がこの世にいたら『勘弁してくれ』『俺はもう街を歩けんな』とそう言うと私は想像する」

喜びの声は演劇界からも

(坊っちゃん劇場・岡本美智子支配人)
「KANOという作品を、1人でも多くの日本人にも台湾の方にも見てもらえるチャンスをもらえたような気持ちで、身が引き締まる」

去年4月から兵太郎を主人公としたミュージカル「KANO1931甲子園まで2000キロ」を上演している坊っちゃん劇場です。
今月15日にはミュージカルの公演期間を1年延長することが発表されました。

(岡本支配人)
「(ミュージカルが)台湾と日本の間の絆を一段と深めてくれるものになれば幸いです」

松山出身の偉人の功績はこれからも語り継がれそうです。

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