まるで「A24×黒沢清」な新世代Jホラー映画『みなに幸あれ』 テーマは超・高齢化社会?現実社会とリンクする“何かがおかしい”恐怖

© 2023「みなに幸あれ」製作委員会

新世代のJホラー誕生

2021年に発足した、ホラージャンルに絞った短編作品の一般公募フィルムコンペティション<日本ホラー映画大賞>。その第1回大賞受賞作を新鋭・下津優太監督が長編映画化した『みなに幸あれ』が現在公開中だ。

Netflixシリーズ『幽☆遊☆白書』等、出演作が絶えない古川琴音が主演を務め、『呪怨』シリーズ(1999年~)の清水崇が総合プロデュースを手掛けた本作。社会問題をシニカルに混ぜ込みつつ、底冷えのする“わけのわからない恐怖”が畳みかける凶暴な怪作に仕上がっている。

『リング』(1998年)や『呪怨』、或いは『回路』(2000年)や『黒い家』(1999年)、『着信アリ』(2004年)に『オーディション』(2000年)……90年代後半からゼロ年代初期にかけて、良質な国産ホラーが次々と世に放たれ、<Jホラー>という一ジャンルを築き上げた。近年でも、コロナ禍初期の激動の中でも堅実にヒットした『犬鳴村』(2019年)をはじめとする「恐怖の村」シリーズや『きさらぎ駅』(2022年)、『リゾートバイト』(2023年)等、勢いのあるホラーはあれど、個人的な感覚としては国産ホラー(特に大きめの)はハリウッド製のアトラクションホラーに沿う形となり、娯楽性を重視した結果、芸術性・作家性・異常性は薄まってきた印象だ(むしろそうした“ヤバみ”は、『哭声/コクソン』[2016年]、『女神の継承』[2021年]、『呪詛』[2022年]、『哭悲/THE SADNESS』[2021年]といったアジアンホラーや、『LAMB/ラム』[2021年]、『MEN/同じ顔の男たち』[2022年]等のA24が目を付けた作品群に感じるように)。

そんななかで、Jホラーの立役者の一人であるKADOKAWAが次なるホラー映画作家を発掘・育成できるかは注視したいところだったが――『みなに幸あれ』は、そうした期待に十二分に応えてくれる一作となった。

テーマは超・高齢化社会!?“何かがおかしい”系×社会派ホラー

本作は大別すれば“何かがおかしい”系ホラーであり、祖父母の家を久々に訪れた孫が想像を絶する恐怖体験をする……というオーソドックスなものだ。ただそれはあくまで導入で、理解しやすい始まりに「幼少期の祖父母の家でのトラウマ(はっきりとは覚えていない)」「ときおり様子がおかしい祖父母」「家のどこかから聞こえる怪しい物音」といった不穏な要素をちりばめ、観客に「どんな謎が隠されているんだろう」「これからどんな恐怖が待ち受けているんだろう」と先の展開への興味を抱かせる。

また、テーマ性の提示も上手く、祖父母の家に向かう道中で親切心から老婆を助けた主人公が「ごめんね、私たち年寄りのために若い人たちが犠牲になって」と言われるシーンが実に示唆的だ。ただ手伝っただけなのに「犠牲」って大げさでは!? と思うかもしれないが、この発言は後に祖父母の家で起こる“事件”と、現代日本の歪な“社会構造”のダブルの伏線として機能していく。そしてまた、先に述べた「社会問題をホラー化する」特長を序盤で明示することで、作品の立ち位置をはっきりさせてもいる。例えばアレックス・ガーランド監督の『MEN/同じ顔の男たち』では、序盤から「有害な男性性をホラー化しています」という開示が的確だが、『みなに幸あれ』も同様に、始まってすぐにメッセージ性を観客の脳に植え付けてくる(全体で89分という尺も含めて、構成やギアのかけ方が絶妙だ)。つまり、本作は超・高齢化社会への警鐘を描く“社会派ホラー”だということ。

総務省統計局が2023年4月に公表した日本の人口推計(2022年10月現在)によると、日本の総人口における65~74歳の割合は29.0%、75歳以上の割合は15.5%。全体の3分の1以上を高齢者が占めている。さらに細かく見ていくと、「ベビーブーム」といわれた時期に該当する73~75歳(第1次)、48~51歳(第2次)が多く、15歳未満の1.5倍近い。これらのデータを見て冒頭の「年寄りのために若い人たちが犠牲になる」に立ち戻ると、“犠牲”というワードがしっくりくるだろう。一人の若者が多数の高齢者を支えねばならない年金問題や世代間の「1票の格差」(多数派である高齢者の意見が政治に取り入れられやすい)が叫ばれるいま、超高齢化社会は「他人事ではない」レベルではなく、今そこに在る現実的な恐怖なのだ。

A24×黒沢清!? な新世代Jホラーの旗手・下津優太

ネタバレを避けるため詳細は控えるが、『みなに幸あれ』では祖父母の家だけではなく、高齢化が進む地域全体に物語が拡大していき、「食糧問題/持続可能な食糧供給」だったり「同調圧力」、或いは「お上に頼れないから自給自足する」といった皮肉が描かれ、タイトルの『みなに幸あれ』の“意味”が克明になってゆく。描かれる内容自体はディストピア的なホラーなのだが、各演出の“ホラー的な恐怖演出”だけでなく、現実社会が歪曲しただけで本質は近いのでは? という怖さのダブルパンチを繰り出してくる点が、秀逸だ。

こうした現実とオーバーラップさせる構造は、細やかな部分にまで行き届いている。例えば本作の登場人物には役名がない。没個性的であり、匿名性を持たせることで「日本のどこにでもあるのでは?」という恐れを抱かせる。また、恐怖演出においても「来るぞ、来るぞ」という煽りを極力抑え、“そういうもの”としてあっけらかんと描いている。例えば孫が祖父母の後ろに“あるもの”を見てしまうシーンで、驚くのは彼女だけ。祖父母は孫や観客が驚愕するような行為/光景を日常風景として捉えていて、周囲の人間も全てを受け入れている。自分にとっての異常が誰かにとっての常識であり、それが多数派になることで個人がどんどん孤立していくおぞましさが強烈だ。

異なる常識がぶつかり合う要素は『ミッドサマー』(2019年)等々、“村モノ”の定石ではあるが、社会的な問題提起――現実に根差したグロテスクさを描くという点において、『MEN』のアプローチに近い印象を受ける。また、恐怖が“来る”のではなく最初からそこに“在る”という点では、『回路』等の黒沢清監督のエッセンスも感じさせる。現代社会の諸問題=時代の闇を物語的な恐怖に変換し、先達たちからの継承も含みつつ独自の作家性を追求する手腕――。1990年生まれのニューカマー、下津優太が次世代のJホラーをけん引する映画監督になっていく未来に、期待したい。

文:SYO

『みなに幸あれ』は2024年1月19日(金)より全国公開

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