日本代表がアジアカップを「制覇した」4つの最強ユニフォーム

現在カタールで行われているAFCアジアカップ2023に出場中の日本代表。今大会を優勝すれば、2011年以来通算5度目のアジア制覇となる。

ここでは、過去4度の優勝した大会で着用していた「アジア最強ユニフォーム」をご紹介しよう。

アジアカップ1992

日本代表 1992 adidas ホーム ユニフォーム

選手:ラモス瑠偉

広島県を舞台に自国開催となった1992年大会。2度目の出場となった日本はアジアカップ初優勝を果たした記念すべき大会となった。チームを率いたのはハンス・オフト氏。

当時のユニフォームはadidas、Puma、Asicsの3社が同じデザインを持ち回りで使用。92年はadidasが担当した。

ラモス瑠偉、三浦知良、武田修宏、北沢豪など当時のスター選手たちが着用したユニフォームは初めてオリジナルデザインを採用。ヤタガラスの羽を描いた独特なグラフィックで、それまでのユニフォームとは全く異なる斬新なものだった。

後のドーハの悲劇により、このデザインは「ドーハモデル」と呼ばれるようなる。

アジアカップ2000

日本代表 2000 adidas ホーム ユニフォーム

選手:中村俊輔

日本が2度目のアジアカップ優勝を成し遂げた2000年レバノン大会。当時の指揮官は、現在行われているアジアカップ2023でベトナム代表の監督を務めるフィリップ・トルシエ氏。

adidas、Puma、Asicsの3社持ち回りシステムは90年代で終了となり、このユニフォームから現在も続くadidasとの単独サプライヤー契約がスタートした。

そのシャープなデザインから「風モデル」とも呼ばれるこのユニフォームで、1999年ワールドユース(現U-20W杯)と2000年アジアカップを制覇。ベスト8に終わった2000年のシドニー五輪でも使われ、大舞台での印象が強く残る。

アジアカップ2004

日本代表 2004 adidas ホーム ユニフォーム

選手:宮本恒靖

前回の2000年レバノン大会に続き、日本が大会2連覇を成し遂げた2004年中国大会。反日ムード最高潮という中での開催となり、日本に対して現地観客の嵐のようなヤジ、ブーイングの記憶も残る大会となった。監督としてこのチームを率いたのはジーコ氏。

当時のユニフォームデザインは珍しいストライプ柄を採用。境界線にグラデーションを施してにじませたような見た目から「グラデーションモデル」とも呼ばれる。

PK戦にもつれ込んだ準々決勝のヨルダン戦では、キャプテンの宮本恒靖氏(日本サッカー協会専務理事)が荒れたピッチを理由にPKサイドの変更を主審に提案。それが受け入れられ、2人失敗から始まったPK戦は日本が逆転に成功し、準決勝進出を決めている。

アジアカップ2011

日本代表 2010 adidas ホーム ユニフォーム

選手:李忠成

現時点で日本最後のアジアカップ優勝は2011年大会。奇しくも舞台はアジアカップ2023と同じカタールで、当時の監督だったアルベルト・ザッケローニ氏にとっては自身初の国際タイトル獲得となった。

この大会のハイライトは、オーストラリアとの決勝戦で飛び出した李忠成のボレーシュートだろう。

スコア0-0で迎えた延長後半4分、長友佑都からのクロスをゴール前の李がボレーで叩き込み先制点を挙げる。これが決勝点となり、日本は通算4度目のアジアカップ優勝を成し遂げた。

日本戦のイラク代表、たぶん誰も知らないユニフォーム“こぼれ話”「謎すぎるユニ色」「ファッションブランドと契約」

そんな大会で着用したユニフォームは2010年南アフリカW杯でも使用したもの。発表当初は胸元の“四角い赤”が不評だったが、W杯では印象的なゴールや勝利でベスト16入り。そして劇的な決勝弾でアジアカップを優勝。2つの大舞台での記憶が鮮烈に残るユニフォームとなった。

現在では世界的にレアで懐かしい新品ユニフォームが揃う「Qoly × LFB Vintage」。懐かしいユニフォームやグッズは見るだけでも楽しいです。

© 株式会社ファッションニュース通信社