阪神・淡路大震災で全壊し再建20年、神戸栄光教会 追悼礼拝で祈りの鐘、鎮魂の響き 時代超え被災者受け入れ

赤れんがの塔が象徴的な神戸栄光教会=1992年5月、中央区

 あの日から29年を迎えた。神戸・元町の県庁前。塔の先端で鐘がゆっくりと、力強く、打ち始めた。夜明け前の空に一つ、また一つ、鎮魂の響きが吸い込まれていく。

 17日午前5時46分。県庁南にあるキリスト教会「神戸栄光教会」(中央区下山手通4)で、阪神・淡路大震災の犠牲者を追悼する礼拝が始まった。祈りの鐘に、震災前にはなかったパイプオルガンの音色も重なり、静かに目を閉じる市民らの姿があった。

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 神戸開港から20年あまり後の1886(明治19)年。栄光教会は外国人居留地の一角に開かれた。創設したのは、関西学院などを創立した米国人宣教師ランバス氏。1923年3月には、現在地に赤れんが造りの教会が建てられた。重厚な塔を備え、異国情緒あふれる神戸の街並みに赤れんがの教会はよく映えた。

 その半年後。東京で未曽有の大地震が起きた。

 牧師だった日野原善輔さんはすぐに関東大震災の被災地支援へ駆け付けた。神戸港に避難してきた被災者も教会で受け入れた。

 その後も、教会は災害や戦争で傷ついた人たちのよりどころとなった。38年の阪神大水害時は幼児を預かる託児所となり、神戸大空襲(45年)で焼け出された人たちも身を寄せ合った。

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 赤れんがとともに栄光教会の象徴だったのが、聖歌隊だった。毎週日曜日の「礼拝」で歌うほか、宗教音楽の最高峰で「救世主」を意味する楽曲「メサイア」の演奏会を開き、親しまれてきた。

 戦後、半世紀以上にわたって隊長を務め「聖歌隊の顔」だった故清水泰博さん。妻千歳さん(87)=灘区=も泰博さんを「聖歌隊一筋の人だった」と振り返る。

 神戸生まれの泰博さんは戦後、関西学院大学で男声合唱団「グリークラブ」に入団し、教会に通うようになった。大学生にもかかわらず、聖歌隊長に任命された。熱心に練習した。オルガン教室にも通った。

 「聖歌隊の役割は、人に聞かせるための演奏をすることではなく、会衆に代わって歌うことです」

 教会で賛美歌を歌う意味を問い続けた泰博さんには、一つの夢があった。

 教会の会堂にパイプオルガンを置きたい-。「本物を知らずに語れない」と、ヨーロッパでパイプオルガンを見て回った。国内の演奏会にも足を運び、念願のパイプオルガン導入へと着実に歩みを進めていた。

 そんなころだった。

 「明けの明星がきれいに見える冬でしたよ」

 1995年。当時の牧師北村宗次さん(93)は1月16日、翌朝を楽しみにいつものように眠りに就いた。

     

 〈長年にわたって賛美の声をしみ込ませてきたレンガの会堂はあの日、ただのガレキとなりました〉。阪神・淡路大震災時の聖歌隊長、故清水泰博さんがこうつづった教会は、震災から9年を経て再建され、今年20年を迎える。教会の聖歌隊員たちを通してその歩みをたどる。(大高 碧)

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