〈1.1大震災〉ふるさとと涙の別れ 珠洲から富山へ 説得受け2次避難

倒壊した家の前を走り、被災者を乗せて富山に向かう車両=20日午前10時40分、珠洲市大谷町

 能登半島地震により16日まで孤立状態が続いていた珠洲市大谷地区。避難所の大谷小中から住民44人がバスやワゴン車などで富山市内のホテルに向かった。石川県からの要請で被災住民が富山県内の2次避難所に移動するのは初めて。

 大谷町を出て生活するのは初めてという濱信子さん(76)は「不安はあるが、たくさんの家がつぶれた大谷を見るのがつらかった」と避難生活を振り返り、出発の際に涙を流した。曽路地正大(そろじまさひろ)さん(91)=清水町=は「知り合いも一緒に受け入れてもらい、ありがたいことや」と感謝した。

 ただ、この日は2次避難を希望した約20人が感染症などでとどまることになった。避難所を運営する市議の川端孝さん(60)=大谷町=は自らは残るが家族は富山に移る。「いつまでも校舎で避難生活を送るわけにはいかない。より安全な場所で暮らしてほしい」と住民に2次避難を説得したという。

 珠洲市では21日、中学生102人が金沢市に集団避難する。一方で、大谷小中は学校が再開されており、富山に移った住民の中には、中学生の子どもは金沢に、小学生の子どもを数日に1回、富山から大谷小中へ車に乗せて通わせるつもりだという40代女性もいた。

 富山市内のホテルに到着した一行は、約6時間の移動の疲れをにじませながらも、ライフラインが整った環境にほっとした表情を見せた。富山市の職員が受け付けのブースを設けて滞在中の注意事項を説明し、保健師が体調を確認した。

 家族5人で移った石田武志さん(68)は「体育館での寝泊まりや簡易トイレの生活はかなりきつかった。やっとゆっくり寝られる。風呂にも入れる」と笑顔に。夫と2人暮らしの大兼政律子さん(76)は「避難生活は持病がある主人の体調が心配だった」と生活環境の向上に胸をなで下ろした。

© 株式会社北國新聞社