酒に溺れ47歳で逝った大スターの激しくも華やかな生涯 『伝説の女優 サーヴィトリ』 絢爛の南インド映画史を再現

『伝説の女優 サーヴィトリ』©Swapna Cinema ©Vyjayanthi Movies

半世紀前の南インド映画を知る

1950年代から1970年代にかけての南インドの華やかな映画界を再現した伝記的作品『伝説の女優 サーヴィトリ』(2018年)をご紹介します。

まずは映画の導入部から。1980年にバンガロールのホテルの客室で、往年の大女優サーヴィトリが重度のアルコール依存症から意識不明となっているところを発見されます。

翌年のマドラスで、駆け出し記者のワーニは同僚のカメラマン・アントニーと共に、映画ジャーナリズムからは忘れ去られてしまった彼女のそれまでの人生を辿る取材を始めます。

ワーニとアントニーは架空のキャラクターですが、サーヴィトリは1950~1970年代の南インド映画を代表する実在の女優です。

実在の大女優、その劇的な生涯

次に実在の人物としての彼女の生涯をざっと書いておきましょう。1934年に英領マドラス管区(今日のアーンドラ・プラデーシュ州グントゥール県)のチルヴールに生まれたサーヴィトリは幼いころから踊りや芝居が大好きで、小さな劇団で演じていました。映画女優になることを志して1940年代末に映画の都マドラス(現在のタミルナードゥ州チェンナイ)にやってきます。

役を求めてスタジオ回りを続ける彼女は、有力スタジオの一つであるジェミニで記録用に顔写真を撮られます。撮影した若い男はラーマサーミ・ガネーサンといい、やがてジェミニ・ガネーサンの芸名でタミル語映画俳優となって成功します。

恋愛映画でヒットを多く出し「ロマンスの王」の異名を持つまでになったガネーサンは、実生活でも根っからのプレイボーイで、妻のアラメールのほかにテルグ語映画女優プシュパヴァッリとも関係を持ち、女児をもうけていました。この女児が後にボリウッドの大女優となるレーカーです。

下積み期間を経て初主演作が1952年に封切られてからのサーヴィトリは、瞬く間にスターダムに上り、テルグ語とタミル語の両映画界のトップ女優となり、「マハーナティ(偉大なる女優)」という通り名が冠せられるまでになります。

映画のリードペアとして再会したサーヴィトリとガネーサンは恋に落ち、2人はこっそり結婚。独立後のインドの民法は、ヒンドゥー教徒の重婚を認めていませんが、法律上の婚姻よりも神前婚が重視される社会では、一夫多妻は普通ではないものの時に起こりうることでした。

重婚のスキャンダルによっても揺らぐことのなかったキャリア絶頂期のサーヴィトリでしたが、その後、次第に夫との関係に軋みが生じ、それが原因と考えられている飲酒に溺れるようになっていき、1981年に47才の生涯を終えます。

煌びやかな過去を現代の技術で再現

映画『伝説の女優 サーヴィトリ』は、想像によって作り上げられたドラマチックかつロマンチックなエピソードを交えながらも、基本的には上に書いた人生行路をなぞって展開していきます。

見どころの一つは、1950~1970年代の映画のビジュアルを今日の技術で再構成したソング&ダンス。特に「この静寂な雨の中で」は、その源がハリウッドのジーグフェルド・フォーリーズ(※1900~1930年代に米NYのブロードウェイで上演されていた華やかなレヴューショー)にもとめられる“ウェディング・ケーキ”型セットをフィーチャーするなど、レトロで贅沢なシーンです。

BGM的に使われる「彼女は輝くニュースター」は、輝かしいトランペットのファンファーレによって、スターの到来を劇的に盛り立てる一曲で、音楽監督のミッキー・J・メイヤルのセンスが冴えています。

さらに、初期のサーヴィトリの代表作の一つにして、テルグ語映画史上の最高傑作とも讃えられる『Mayabazar』(1957年)の撮影風景の再現も、本作の見せ場の一つです。2023年秋に劇場上映されたテルグ語作品『ヤマドンガ』(2007年)で、セカンドヒロインのマムタ・モーハンダースがやってみせた「むくつけき中年男が可憐な若い娘に化ける」演技は、まさにこの『Mayabazar』が源流です。

また同じくテルグ語作品『お気楽探偵アトレヤ』(2019年)では、上記の「彼女は輝くニュースター」を主人公が歌うギャグシーンもあります。『伝説の女優 サーヴィトリ』は、連綿と連なる引用の織物としての映画史を実感できる一本なのです。

文:安宅直子

『伝説の女優 サーヴィトリ』はCS映画専門チャンネル ムービープラス「ハマる!インド映画」で2023年1月放送

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