能登地震と同様の被害、津軽半島で起きたら… 狭い道にひび、渋滞 被災地で救急車運転・江良幸一さん

現地で撮影した写真を見せながら、医療支援活動を振り返る江良さん=五所川原市
地震で割れた道路にはまり動けなくなった車両=8日、石川県穴水町(江良さん提供)

 能登半島地震で被災した石川県穴水町で医療支援活動に当たった、つがる総合病院(青森県五所川原市)の災害派遣医療チーム「DMAT」の一員、江良幸一さん(41)が20日までに東奥日報の取材に応じた。江良さんは同町の病院から金沢市まで患者を搬送する救急車の運転などを担当。「(穴水町は)道が少なく大渋滞が起きていた。津軽の道に似ており、同じことが起こったら怖いと感じた」と現地の様子を振り返った。

 同チームは30~40代の医師、看護師ら5人で構成。青森県から車で18時間かけ、石川県へ。今月9、10の両日、公立穴水総合病院(穴水町)で救急外来や患者の転院搬送支援に当たった。五所川原市職員で、現在つがる総合病院を運営するつがる西北五広域連合に出向中の江良さんは「業務調整員」として診療のサポート業務を担った。

 10日、同チームは公立穴水総合病院から約70キロ離れた、能登半島の付け根部分にある金沢医科大学病院(金沢市)に患者1人を搬送した。約3時間、救急車のハンドルを握った江良さんは「(穴水町内は)路面はあちこちでひびが入り、渋滞が起きていた。電気や水道、道路を復旧しようと現地に入っていた車が片側をふさぎ、それも渋滞につながっていた」と振り返る。

 山間部では五所川原市の市浦地区と似たような、片側1車線の狭い道が続いていたといい、「津軽半島でも大きな病院は外ケ浜にあるぐらい。青森県でも地震はいつ起きるか分からず、患者の搬送のことを考えると怖いと感じた」と語った。

 穴水総合病院のベッドは100床で、五所川原市の金木病院と同等の規模。電話は通じず、救急患者は事前連絡なしに運ばれてきた。断水も続いていた。患者は高齢者が多く、車中泊を続けて体調が悪化した人、家のがれきの片付け中に転び頭を負傷した人、感染性胃腸炎にかかった家族のほか、インフルエンザや新型コロナの患者もいた。

 睡眠は、病院内の広いフロアで雑魚寝。燃料の節約なのか、寒く、毛布も布団もなかった。県病チームや他県のDMAT計6チームが対応に当たったが、スタッフは足りない状態だったという。

 「水が使えない環境がこんなに大変なのか、と思った。備蓄の物資では、簡易トイレを多めに備えておくことが大事だと思った」と話す江良さん。震災被災地での活動は初めてだったが「被災地はまだまだ支援が必要な状態。少しでも健やかに生活できるよう、依頼が来ればまた現地入りして支援に携わりたい」とした。

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