祝!米寿【作詞家:湯川れい子】 敬愛するエルヴィス・プレスリーはひとつ上のセンパイ!  1月22日は作詞家 湯川れい子先生の誕生日!おめでとうございます

エルヴィスに会いたいという一心で業界に飛び込んだ湯川れい子

1966年、ビートルズが来日した際には、厳重すぎる警備を巧妙に突破して貴重な突撃取材を敢行した。しかしもっと敬愛していたのはエルヴィス・プレスリー。

それは「センチメンタル・ジャーニー」に続いて松本伊代に歌詞を提供した2枚目のシングル「ラヴ・ミー・テンダー」にも表れている。音楽評論家で作詞家の湯川れい子が業界に飛び込んだのは、エルヴィスに会いたいという一心からであったそうで、その想いも見事に叶えている。

1936年に東京で生まれ、山形で育った彼女は、中学の頃から進駐軍放送のアメリカンポップスを聴くようになり、高校になるとモダンジャズに惹かれ、独学でジャズの歴史を学んだ。そして19歳の時にジャズ専門誌『スイングジャーナル』へ投稿したのをきっかけに若くしてジャズ評論家としてデビューする。

『全米トップ40』(ラジオ関東、現:ラジオ日本)などラジオのディスクジョッキーも務めながら、やがて訳詞や作詞の世界でも活躍を見せるようになったのだった。しかしもともとは女優志望であったとか。少しだけその活動をしていた時期もあった。

作詞家デビューは「涙の太陽」

作詞家デビューの機会は、彼女がDJを務めていた番組のアシスタントがレコードを出すことになり、英語の詞を頼まれたことで訪れた。

レコーディングの現場で僅か10分か15分ほどで書き上げたという。それがエミー・ジャクソンの「涙の太陽」で思いも寄らぬ大ヒットとなる。作詞家のクレジットは “R.H.Rivers”。つまり “ホット・リバー=湯川” という洒落である。ちなみにエミー・ジャクソンもクォーターながられっきとした日本人。

続いて依頼された青山ミチの日本語ヴァージョンでは、しっかり “作詞:湯川れい子” とクレジットされた。エミー・ジャクソン盤が1965年4月、青山ミチ盤が同年5月のリリースでいわゆる競作盤となったが、青山ミチの方はそれほどのヒットには至らなかったようだ。

「涙の太陽」の日本語版が広く知れ渡るようになったのは、1973年に安西マリアがデビュー曲としてカバーし、ヒットさせたことが大きい。さらに1989年には田中美奈子がやはりデビューの際にカバーして話題になるなど、和製ポップスのスタンダードナンバーとして定着するとともに、作詞家・湯川れい子の出世作となった。

「ランナウェイ」「センチメンタル・ジャーニー」も大ヒット

それでも湯川自身は作詞家としての正式なスタートを、1980年にシャネルズ(後のラッツ&スター)に書いた「ランナウェイ」だと語る。当初はコマーシャル用に書かれた30秒の作品が再構築され、彼らのデビュー曲となって大ヒットした。

続いて提供した「トゥナイト」や「街角トワイライト」もヒット。1981年には期待の新人だった松本伊代のデビュー曲「センチメンタル・ジャーニー」も見事にヒットさせた。松本自身の名前と年齢が織り込まれて自己紹介ソングとなったインパクトは絶大であった。

ザ・タイガースが再結成されて活動していた1983年に提供した「銀河旅行」も忘れ難い1曲。阿久悠が書いたその前のシングル「色つきの女でいてくれよ」の印象が強かっただけに忘れられがちだが、詞も曲も前作に勝るとも劣らない傑作であったと思う。

メロディがつき、唄われることによって、その詩が動き出す。”言葉は生き物” です

その後も1984年のアン・ルイス「六本木心中」、1985年の小林明子「恋におちて」の大ヒットで、揺るぎない人気作詞家となる。いずれも英語詞のパートがあり、曲調もアメリカンポップスの影響が色濃く反映されているのが特徴。同時期には、映画版ドラえもんの主題歌として小泉今日子が歌った「風のマジカル」のほか、中森明菜「SOLITUDE」、南野陽子「風のマドリガル」など、アイドルへの作品提供も数多い。かつて日本作詩家協会の6代目会長を務めた際には、こう語っていた。

「言葉は生き物です。詩として優れていることは大切ですが、純粋詩と歌の世界が少し違うのは、メロディがつき、唄われることによって、その詩が動き出し、泣いたり踊ったりしてくれる点にあります。そんな "生き物" を創りたい」

翻訳家としての仕事も多く、『美女と野獣』や『アラジン』といったディズニーソングも手がけている。昨今ではジェンダー問題にも対峙するなど、音楽のみに留まらないコメンテーター、評論家として幅広い分野で活躍。

2020年に公開された河崎実監督の怪作映画『ロバマン』に出演し、主演の吉田照美が歌った主題歌「ロバマンのうた」の作詞までしてしまったのは痛快だった。エンディングテーマの「明日へのバラード」も思わぬ名曲だったのだ。この度めでたく米寿を迎えられてますますお元気な先生には、こうした茶目っ気たっぷりのお仕事もさらに究めていただきたいものです。

カタリベ: 鈴木啓之

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