JR西日本がSIerに頼らずシステム開発を内製化し、さらにデジタル改革推進のための新会社も設立した理由--キーパーソンのJR西日本 宮崎祐丞氏に聞く

西日本旅客鉄道株式会社 マーケティング本部 担当部長 兼 デジタルソリューション本部 データアナリティクス 担当部長
株式会社TRAILBLAZER 取締役 宮崎 祐丞 氏

デジタル戦略を支える人材の確保・育成のための新会社を設立

「ミッションは『GO WILD WEST!』です。ワイルドに、尖った会社にしたいと思います」。宮崎祐丞氏は、JR西日本がデータ分析企業の株式会社ギックスと共同で設立した新会社「TRAILBLAZER」について思いを語った。

宮崎氏は現在、西日本旅客鉄道マーケティング本部 担当部長 兼 デジタルソリューション本部 データアナリティクス担当部長を務めるが、2023年10月2日に設立されたTRAILBLAZERの取締役も兼任する。「TRAILBLAZER」は英語で「先駆者」を意味しているが、「鉄道(RAIL)」という単語を含んでいるのも社名採用の理由の一つだという。

同社設立の目的は、JR西日本グループのデジタル変革を推進することにある。だが、JR西日本グループ向けの仕事が中心であれば、あえて新会社として切り出す必要はない。ただ、「GO WILD WEST!」を掲げて大きな変革を実現するために、あえて社外に新しい機能を持った会社をつくったのだ。宮崎氏は「大きな狙いは、『GO WILD WEST!』の実現に向けたデジタル戦略を支える人材の確保・育成です」と、その意図をより明確に説明する。

株式会社TRAILBLAZER HPより(参考元: )

旅客業界とは別業界がライバルとなる非鉄道事業の拡大に力を入れるため、優れた人材の獲得・定着を図るべく独自の待遇を用意

時代の要請とともに、JR西日本の経営戦略自体も大きく変化している。「JR西日本は2023年4月、2026年3月期までの中期経営計画を発表しました。その中で、今後非鉄道事業に力を入れ、2033年3月期までに、ライフデザイン分野の割合を連結営業利益ベースで40%まで引き上げる、という長期目標も打ち出しています」と宮崎氏。

参照元:JR西日本グループ中期経営計画(P11)

自社アプリ「WESTER(ウェスタ―)」の利用者のデータを分析し、自社グループのクレジットカード「J-WESTカード」などと連携したグループ共通のポイントサービスや情報提供などを行うサービスも始まっている。

「従来は、航空会社や関西の並行する民営鉄道会社だけを見ていればよかったが、現在やろうとしていることは決済プレーヤーやウェブ企業に近いものとなってきており、ジャンルが異なります。例えば、野球には野球ができる人、サッカーにはサッカーができる人が必要なのと同様に、従来とは異なる仕事ができる人材を集めなければなりません。ところが、JR西日本の人材採用体系は、どうしても鉄道事業の安全安定輸送を実現するための人材としての採用が中心であるため、人事異動で人材を確保するにも限界がありました」

さらに現行の給与体系などにも課題があると話す。

「育成にも力を入れていますが、育てたデータサイエンティストなどのデジタル人材が引き抜かれるリスクもあります。ただ、高度な専門知識を持つ人材に応じた十分な待遇を提示するのも、JR西日本の既存の給与体系では難しい点があります。リテンション(引き留め)は、新会社設立の一つの目的でもあります」

データ分析人材のキャリアステップも、既存の制度では描きにくいところだ。新会社を設立して独自の待遇を用意することで、優れた人材の採用や定着につなげていく考えだ。

「すでにTRAILBLAZER自身で採用活動を始めていますが、JR西日本では前例がないような、多様な人材からの応募があります。デジタル人材の育成についても、JR西日本内部よりもスピーディーに行えます。また、事業会社からTRAILBLAZERに人材を出向者として受け入れて現場に戻すことで、JR西日本グループ全体のデジタル人材育成にも貢献できるのでは、とも考えています」と宮崎氏は話す。

保守業務からデータアナリティクスへと異例のキャリア変遷が、TRAILBLAZER創設のきっかけに

デジタル戦略を支える人材の確保・育成のために新会社を設立するというのは、伝統的な鉄道会社では先例がないが、この画期的な取り組みには、下地がある。大きなきっかけとなったのは宮崎氏自身のキャリア変遷だ。宮崎氏は京都大学で土木工学を専攻、2001年の卒業後は、新卒でJR西日本に入社した。

「鉄道会社の採用は、官公庁の採用に似ていて、技術系の場合、私のような土木工学を専攻した者は線路の保守、機械工学の専攻の者は車両といったように、それぞれの部門で採用します。そのため、縦割りでかなりセクショナリズムの強い組織でした」

宮崎氏も、それまでの土木工学専攻の社員と同様、保守業務に携わった。入社13年目の2013年からは、英国のサウサンプトン大学大学院に2年間留学し、高速鉄道の保守運用などを学んだ。その経験をもとに、2015年には海外事業推進室も兼任し、JR西日本が三井物産、海外交通・都市開発事業支援機構(JOIN)とともに出資したブラジルのガラナアーバンモビリティ(GUMI)のプロジェクトなどにも携わった。GUMIは傘下の鉄道会社によりブラジルの都市旅客鉄道事業を展開している。その中でJR西日本は、ブラジルの旅客鉄道の安全性・安定性向上に貢献する技術支援を行った。

「留学では、保線業務の効率化なども学びました。当時の当社の保線業務はかなりアナログでした。例えば、線路の形状変化を見つけるために、10mの糸を張って人間が目視でゆがみを計測していました。これではいずれ限界が来るだろうということで、IoT(モノのインターネット)やAI(人工知能)を活用した業務改善ができないか、さらにはセクショナリズムも壊したいという考えから組織の壁を越えた部署が設立され、私がその責任者を務めることになりました。2017年に『技術企画部システムチェンジⅢ』という無骨な部署名でスタートしましたが、メンバーは、私も含めて4人だけ。専門的な業務経験がある者もいませんでした。前述したように、鉄道会社では採用段階からその後のキャリアもずっと縦割り構造ですから、そこから出ることで『宮崎は出世コースから外れた』と思った人も何人かいたかもしれません(笑)」

チームはその後、2020年に新設されたデジタルソリューション本部に移った。陣容は大きく拡大し、現在は50人規模になっているという。

「このチームの大きな特徴は、WESTERアプリ、決済事業を抱える事業部のど真ん中にいて、データを活用したDXを推進する立場であることです。情報システム(情シス)部門がDX推進室に看板をかけかえるような、よく見かけるケースとは全く逆のアプローチです」

「新幹線の着雪量予測モデルの構築」のコンペを開催。若手社員も参加し、内製化でシステムを構築

「JR西日本グループではこれまで、AI(人工知能)やデータサイエンスにもとづいてさまざまな業務改善に取り組んできましたが、その多くをデジタル戦略立案・実践チームが自社で内製してきました。というのも、大阪までなかなかSIerが来てくれないからです(笑)」と宮崎氏は冗談めかして語る。だが、鉄道設備の保守業務に限っても、課題の発見や仮説検証、さらにはこれらに伴うさまざまなデータの分析においては高度な知見が求められる。なかなかSIerが簡単に提案できるものではないという側面もあるだろう。

「内製」を選ぶきっかけになった出来事もあった。「当初は、外部のパートナーが必要だろうと考え、2017年にデータサイエンスコンペティションサービス『SIGNATE』でコンペを開きました。テーマは『新幹線の着雪量予測モデルの構築』でした」と宮崎氏は明かす。

JR西日本の北陸新幹線では、車両の台車部分に付着する雪が一定量以上見込まれる場合に、糸魚川駅で雪落としの作業を行っている。この雪落とし作業の実施発動は気象予報をもとに決定していたが、車両に雪が付着していないケースもあり、作業者の配置ロス、作業実施のための運転規制による列車遅れなどが発生していた。「新幹線の着雪量予測モデル」の狙いは、雪落し作業の実施発動の精度を高めることだ。

SIGNTATE 事例より(参考元:)

「コンペの結果は意外でした。社外企業だけでなく、社内からもコンペに参加させたのですが、JR西日本の2人の若手社員が3位と7位に入ったのです。ならば、いっそのこと内製化してはどうなのか、その方が知見を蓄積できると考えました」

コンペの結果、上位3件のAIモデルが検証フェーズに入ったが、そのうち1件は同社社員が開発したモデルだ。その後、試験運用も行われ、2022年11月に本運用が開始されている。効果について、「雪落し作業の実施発動の精度を高めることで、年間3000万円程度のコスト削減が実現しました」と宮崎氏は紹介する。

JR西日本グループの企業規模であれば、年間3000万円のコスト削減は経営に大きなインパクトを与えるほどではない。しかし、デジタルソリューション本部データアナリティクスが中心となり、データを活用し業務上の課題解決を実現した事例が生まれた意義は大きい。

ドメイン知識を強みに実績を重ねて信頼を勝ち取り、「異動したい」と言われる部署に

今でこそ、デジタルソリューション本部データアナリティクスは50人もの陣容になり、JR西日本社内でも存在感が認められるようになっているが、設立当初の事業部門からの反応は薄かったという。

「鉄道会社のように現場が強い会社だと、情シスがどうしても各事業部門の御用聞きになりがちです。分析のためにデータをくださいと言ってもなかなか協力してくれません」

そこから、頼られる存在になるために、どのような取り組みを行ったのだろうか。

「そこで強みになったのは、私たちはドメイン知識(専門分野の業務知識)を持っていることです。私は保線業務出身で、『新幹線の着雪量予測モデル』を構築しましたが、他のメンバーも、まずは出身部門の領域で成功事例をつくるようにしました。最初は小さなコスト削減などであっても、実績を積み重ねることで信頼を獲得していきました」

2017年に組織が設立されたときには、データサイエンティストなどの業務の専門家もいなかったというが、マーケティング部門などへの働きかけはどう行っていったのだろうか。

「先ほど、レールのゆがみを手作業で計測していたという話をしました。実は、マーケティングも、モバイル端末や、アプリ、クレジットカードなどから得た人間のアナログ行動の情報を測定しているのです。線路の悪いところを見つけて直すのと、アナログの経済活動を測定して属性などの物差しをつくって顧客の購買を伸ばすことは、対象物が変わっただけで根っこは一緒だと思っています」

社内での評価が高まるにつれ、社内公募などを通じて、デジタルソリューション本部データアナリティクスに異動したいと手を挙げる若手社員も増えていったという。

社外にも販売できる事業の柱を生み出す

鉄道会社を取り巻く環境が大きく変化している。「沿線住民の少子高齢化は確実に来る未来です。列車を増発すれば増収になるという時代ではなくなります。また、労働人口が減ることで人手不足になりますので、保線業務などの機械化も進めていく必要があります。ただ、鉄道会社ではDXの価値創出以前のデジタルへの置き換えすら進んでいません。早急に取り組まなければならないと危機感を持っています」と宮崎氏は語る。

JR西日本グループの中期経営計画でも、不動産やまちづくりといった「ライフデザイン分野」の強化を掲げている。

「私たちのチームでいえば、鉄道とマーケティングで、すでに4:6ぐらいの割合になっており、テクノロジー的にもいろいろと面白いことができるようになっています。例えば、交通系ICカード『ICOCA』(イコカ)の移動データの全粒度分析は、少し前はできず、ある程度の集計されたデータしか取れませんでした。今では全てのローデータを取れるようになり、さまざまな切り口で可視化できるようになりました」

WESTERアプリとICOCAを顧客とのタッチポイントとしてデータマーケティングに組み入れて、顧客一人一人に便利でおトクで楽しい体験をタイムリーに提供していくことを目指す。参照元:JR西日本グループ 統合レポート2023(P36)

マーケティングにおけるセグメンテーションの可能性も大きく変わると宮崎氏は指摘する。

「ICOCAのユーザーについても、男性・女性、年齢といったセグメントではなく、ある人は朝にコンビニに寄る、ある人はほとんど駅に行かない、つまりリモートワークが多いのかもしれないという属性が分かれば、具体的な打ち手につながっていきます。人口減に影響されない事業をつくっていくことが重要です。私たちがやっていることから、その種が生まれたらと、常に可能性を探索しています」

JR西日本グループならではのデータ収集・分析による新たなサービスの提供、その日はそう遠くないだろう。

「JAXA(宇宙航空研究開発機構)とのパートナーシップなど、新たな取り組みも始めています。自動改札機の故障予測などで培った鉄道会社向けのシステムの外販もすでに行っています。さまざまな業界への外販も視野に入れています」と宮崎氏。

JAXAのプレスリリースより(参考元:https://www.jaxa.jp/press/2022/10/20221017-1_j.html

JR西日本とJAXAが進めているのは、AIを活用した人工衛星の故障予測の研究だ。JR西日本の鉄道設備のメンテナンス技術を活用する。プロジェクトにかかわったメンバーにとっても宇宙の仕事に携われる大きな手応えがあるに違いない。

TRAILBLAZERでは2025年度末までに150人を採用する計画だという。「『ビジネス』、『分析』、『基盤』の3分野で人材を採用・育成したいと考えています。まずは新会社設立によりできた新しい仕組みを常に成長させながら、JR西日本グループ、さらには社外へと可能性を広げていきたいと思います」と宮崎氏は力を込める。グループ内での存在意義も着実に高まっている。

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