2023シーズン、悲願のJ1昇格&J2優勝を成し遂げたFC町田ゼルビア。
黒田剛監督や原靖フットボールダイレクターのもと、エリキやミッチェル・デュークといった大型補強が注目を集めた一方、既存戦力の台頭も大きかった。
とくに目を引くパフォーマンスを見せた一人が、大卒1年目の平河悠だ。
特別指定選手としてすでに2シーズン町田でプレーしていた23歳は、両サイドの切り込み隊長として躍動。35試合に出場し6ゴールを記録し、チームの悲願達成に大きく貢献した。
そこでQolyは、昨季J2屈指のサイドアタッカーだった平河を直撃!
インタビュー前編では、佐賀県出身の彼が山梨学院大を経て町田へ至ったプロセスに迫る。大学3年次の2021年9月に加入を決めたことの「メリット」とは。
「プロになる」イメージが全くできなかった高校時代
――まずは平河選手のキャリアについて伺わせてください。出身が佐賀県の鹿島市ということで。同じ“カシマ”で、アントラーズにシンパシーを覚えたりとかは特に…。
全くないですね(きっぱり)
――Jリーグクラブと言ったらやはりサガン鳥栖でした?
サガン鳥栖の試合は小さな頃から観に行っていたので、Jリーグ、特にJ1の舞台は結構夢見ていたというか憧れの舞台でした。そこに来シーズン立てるというのは本当に嬉しいです。
――高校は地元の佐賀東。インターハイや選手権に出場されていましたが、当時のプロとの“距離感”はいかがでしたか?
自分は佐賀東で、高校3年生くらいの時にやっと本当にスタメンを取れたという感じだったので、プロにはなりたいけど遠い存在というか現実味はなかったです。それよりは自分のプレーにフォーカスして上を目指している日々でした。
「プロになる」というイメージが全くできなかったので、高校の時はオファーが来なかったら「もうここで終わろう」と本当に思っていました。夏に大学からお話をいただくまではプロへの現実味はほとんどなかったですね。
――高校時代はどんなタイプの選手?
(チームが)ポゼッションサッカーだったので、相手を見てポジションを取って判断するみたいな感じでした。
高校生の時はまだそんなに足が速くなくて、どちらかというとドリブルで仕掛けて攻撃参加していくみたいなタイプだった気がします。
――2019年に山梨学院大へ進学。これはオファーを受けて練習参加等を経て決めたという感じです?
そうですね。完全に特待生みたいな感じではないですけど、山梨学院から練習参加だったりそういうオファーを受けたので、「もう一回チャンスをもらえた」と思って、死ぬ気で4年間頑張ろうと思って行きました。
――山梨学院大はどんなチームでした?
自分とほぼ同じタイミングで岩渕(弘幹)監督と大場(賢治)ヘッドコーチが就任されて。
本当に恩師じゃないですけど、ほかのスタッフを含めそういった方々のマネジメントやサッカーがあってこそ今があります。大学がサッカー人生の中で一番伸びた4年間だったと思っています。
サッカースタイル的には、繋ぎつつも完全にポゼッションというわけではなく、カウンターもできるしポゼッションもできるようなサッカーを求められていました。その中で守備は結構前から行くようなサッカーでした。
「大学4年まで待っていたら“立ち位置”は確実に変わっていた」
――大学で成長を遂げ、3年次の9月にはFC町田ゼルビア加入内定が発表。同時に特別指定選手になりましたが、3年でもう町田に決めたというのは、平河選手の中でどうしてそのタイミングだったんですか?
町田からオファーをもらった時は正直びっくりしたほうが大きくて、その時は「本当にプロになれるんだ」くらいの感じでした。
「どうしようかな」というふうに色々考えたんですけど、このタイミングでオファーをいただいたのも、FC町田ゼルビアが獲りたいという強い気持ちを感じました。
また、そこに対する答えで、自分にプレッシャーをかけるじゃないですけど、大学3年で決めてそこから…自分は東京都リーグだったので注目も集まりますし、今後のためを考えて大学3年の時にもう返事を出そうと決め、すぐに伝えました。
――いま振り返った時に、早めに決めたメリットはどんなところに感じます?
メリットは、3年生の大学の活動が終わってすぐに町田へ練習参加したことで、1か月半くらいプロの現場を大学3年生の時点で経験することができました。当時は本当にプロの厳しさやスピード感など、何もかも付いていくことに必死だったので、本当に成長しかなかった活動でした。
そこでデビューもできましたし、大学4年の時も特別指定だったからこそ試合に起用されていたと思います(※J2で16試合に出場し2ゴール)。
大学3年の時に決めるか、大学4年になるまで待つかで、今の“立ち位置”は確実に変わっていたと思います。町田にいるかも分からなかったので、そこは今考えると大学3年の時に返事をして良かったです。
――ちょっと脱線というか、山梨の大学が東京都リーグに参加しているというのは何か不思議な感じもします。遠征とかは実際どういう感じなんですか?基本的に東京の大学と対戦するわけですよね。
東京のチームと対戦するからアウェイ、という感覚は全然なかったです。ホーム&アウェイなんてないですし、グラウンドもボコボコで足をよくくじいてしまうような日々でした。
本当に今の(町田の)環境が良すぎて、それに当たり前という風にならず、大学時代のことも思い返しながらプレーしたいなと思います。
東京都リーグですがレベルは全然低くなくて、本当に自分が成長できたリーグでした。都リーグがこれからもっと発展してレベルアップしていくといいなと思っています。
――4年生の時のことを少し伺いたくて。チームは都1部で優勝し、最終的に関東2部へ昇格しました。その中で、平河選手は特別指定でJ2に16試合出場。どんな感じでチームと話して町田へ合流していたんですか?
大学が基本的にメインの活動になるので、大学の試合をやりつつ、中断期間じゃないですけど2週くらい空いた時はこっちに来たりしていました。
結構コロナが流行っていたので、コロナで試合が中止になったらすぐこちらに来て3日間いたりとか。行ったり来たりを繰り返していた感じですかね。
――なるほど。大学サッカーの4年間で平河選手が感じたことや掴んだものは?
高校の時に比べると、得点感覚やゴール前での強さ、対人での馬力といった能力は大学でかなり身に付けました。
身体能力も成長もして足も速くなりましたし、そういう一つ一つの能力は確実に上がりましたね。大学の4年間ではそういったことを学びました。
――今の町田は新しいクラブハウスを含めて環境的に素晴らしいものがあると思います。他のチームに対するアドバンテージに繋がっている部分もありますか?
高校まで土というか砂というか、いわゆる芝ではないちょっとデコボコしたようなグラウンドで育ってきた身からすると、人工芝であっても天然芝であっても難なくトラップできますし、シュート練習も自分が思ったところに打てます。
それが高校までは当たり前じゃなかったですし、今思い返しても色々なことが蘇ってきます。本当に今の環境が良すぎて、逆に高校まであの環境でやっていたことが今に繋がっているとも感じます。
今のように芝に慣れておくことで本当の技術がまず身に付くと思いますし、実際にゲームにも活かしやすいです。高校までだとトラップ一つでも集中しないとすぐ跳ねてボールウォッチャーになっちゃったりもして…大学時代にもそういう差はちょっと感じました。
どちらも良さはありますけど、そういうちょっとしたことで変わってくるとは思います。
――ちなみに先ほど、高校時代まではあまり足が速くなかったと聞いて驚いたんですが、トレーニングなどで速くなったんですか?
トレーニングの積み重ねもそうですし、成長期が来たのか分からないですけど、大学で結構速くなりました。
気付いたら「高校に比べると速くなったな」と思っていたので、いつからとかは分からないですけど。
東京都町田市出身のサッカー選手で「最強の5人」!次点でパリ五輪世代の主力も
プロとして最初の1年を戦い抜いた2023シーズンや、初めて背負った“日の丸”などについて聞いたインタビュー後編は1月22日(月)公開予定。お楽しみに!