【山本尚貴インタビュー/後編】「外からでしかわからないことがあった」。復活への道筋と宮田の挑戦、福住と大湯の移籍で感じたこと

 2023年のスーパーGT第6戦SUGOで大クラッシュによる2か月の入院生活を余儀なくされた山本尚貴。引退の可能性も高かった大きな怪我と苦しい時を過ごした前編に続き、後半は順調に回復し、退院に至った中でどのようなことを感じていたのかを聞いた。その頃の国内レース界では宮田莉朋がダブルチャンピオンに輝き、山本が在籍しているホンダ陣営からは期待の若手ふたりがライバルでもあるトヨタに移籍するなど、大きな動きが重なっていた。

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⎯⎯2か月に及んだ入院生活をついに退院されたわけですが、入院中、苦しかったときのファン、家族はどのような存在でしたか?
「応援してくれているファンの方にはこの2〜3カ月、12月のホンダ・サンクスデーまで直接は会えなかったですけど、今の時代はSNSなどでファンの声が届く機会が増えているので、それはすごくありがたかったですし、まさか自分が怪我でレースを欠場することがこんなに反響があるなんて、正直思わなかったです。純粋に応援という力に勇気付けられたのでみなさんには本当に感謝しています。応援してくれる方たちのためにも頑張って早く戻って、またいい結果を出したいなと前向きな気持ちになれましたし、本当に応援してくれるファンのみなさまの存在は大きかったですね」

「そして家族は僕以上に大変で(苦笑)。僕が入院して家からいなくなったことの穴埋めを家族みんなで補填しながらやってくれていたので、まあ、僕がいない2カ月、家族は大変でしたし、これ以上の迷惑はもうかけられないなという感じです(笑)。もう怪我をしたりして大変な思いはさせたくないなという思いにはなりましたね。やはり、家族の存在は何よりも大きかったです」

「同じく、中嶋悟総監督、小島一浩監督、そして先輩に後輩ドライバーのみんなからも心配や励ましの声をかけてもらって、サポートもしてもらって、通常のレースをしていた時以上にありがたみを感じましたし、こういう人たちがいてくれるからこそ、自分が気持ちよくレースができて、速く走れる環境を整えてもらっていたのだなと身に沁みて感じました。早くこの病室から出て、一番は自分のためにとずっと思ってやってきましたけど、ファンの方やチームのためにという比率が変わった感じがしますね」

⎯⎯そうして退院してから初めて公の場となった12月のホンダ・サンクスデーですが、ひさびさにイベントですがサーキット、ファン、関係者と会って、どのようなことを感じましたか?
「サンクスデーの時は今よりも体が動きづらい感じだったんですけど、ひさびさの現場復帰というのもありすごい数の人たちから『大丈夫ですか?』と声をかけてもらえました。僕は1日で何回言ったのかっていうくらい『大丈夫です』って言いましたね(苦笑)。本当にこんなに多くの方に応援してもらって、心配してもらって、自分の好きなことができる。本当に恵まれているなと、改めて思いました。僕は幸せ者です」

「できることならレースから離れたくなかったですし、離れたことで失ったこともたくさんありましたけど、一度離れたことで気づけたこと、得られたこともたくさんあったと思うと、今回のクラッシュが自分にとって無駄か無駄じゃないかは、結局は自分次第だなと。もちろん、無駄にしないようにこれから日々、過ごしていきたいなと思います」

⎯サンクスデーの後には、見学という形でSF鈴鹿テストにもサーキットを訪れました。
「自分から行きたいと思って、実際には2日間、見に行かせてもらいました(テストは3日間)。そこは家にいると何か不安で、みんな走っているのに何で家にいるのだろうと。その時はもう首の痛みも心配してもらうほどではなかったので、サーキットに行くことは体としては問題なかったですし、欠場してからナカジマ・レーシングのみんなには会えていなかったので、挨拶をしたかったというのもあります」

「あとは自分のクルマを使って、エンジニアさん、当日乗っていたドライバーたちの声を聞くことで、何かヒントになることがあるなと思っていましたし、2024年シーズンに向けてのアイデアとか、あとはスーパーフォーミュラの走りを外から見る機会って、デビューしてから14年、まったくなかったので。それまではメチャクチャ、嫌だったんですよね。自分が乗っているはずの時間帯に、それを外から見続けるというのは何か変な感じでしたけど、でも、外からでしかわからないことがあったので良かったなと思っています。気がついたことが結果に結びつけられるかは分かりませんが、そこは次の課題になりますね」

⎯⎯そこで気づいたことを、もう少し教えて頂けますか?
「実際に外から見ていて、結構、違う部分があるんだなと。選手ごとの走り方というよりも、チームごとのクルマの状況やセットアップの特性の違いのような部分が見ていて結構、面白かったですね」

⎯⎯今の気持ちとしては、その気づきを早く試してみたい、走ってみたい?
「そうですね。今はとにかくスーパーGTもスーパーフォーミュラも早く実車に乗って、やっぱりこれまで走れなかった分をぶつけたいなと思いますし、やっぱりここで終わるわけにはいかないので、今までよりも速く、強く走って、勝ちまくってチャンピオンを獲りたいなと思いますね」

2023年12月スーパーフォーミュラ鈴鹿テストの現場を訪れた山本尚貴。佐藤蓮にアドバイスを送る

︎国内レースを引っ張るベテランとして、そしてホンダ陣営を率いるのエースドライバーとして

⎯⎯少し山本選手の話とは離れるのですけど、入院している間に国内のレースではいろいろと大きな話題がありました。まずは宮田莉朋選手が山本選手以来となる、ダブルチャンピオンを獲得して、今季はFIA F2、ELMSなどに参戦します。山本選手は宮田選手をどのように見ていましたか。
「まずは純粋に、F2に挑戦できるチャンスを得られてすごいなと思いましたし、頑張ってもらいたいなと思っています。あとは、ダブルチャンピオンという、そんなに簡単に獲れないはずのものを自分は2回獲った(2018、2020)という自負があるのですけど、早々と次に獲得する選手が出たというのは若干、悔しさや嫉妬心みたいなものはあります(苦笑)」

「やっぱり、自分の価値を高める意味でもダブルタイトルを獲るというのは、ただ速く走ればいいというだけではなくて、やっぱりその時の両方のチームの状態も大きな要素ですし、ましてやスーパーGTはチームメイトと共に戦っているので、チームメイトの活躍もダブルタイトルを獲るには必要不可欠になる。宮田選手が頑張ったことは疑いの余地はないですけど、彼のダブルタイトルを支えたチーム、そしてチームメイトの坪井(翔)選手の存在が彼の能力をさらに引き上げたと思います。彼もその刺激を受けて、周りの人たちも宮田選手をチャンピオンにさせたいという思いがあっての相乗効果だったのかなと思っています。これでまた、現実的にダブルタイトルを目標とする選手が増えたのではないでしょうか」

⎯⎯宮田選手にはどんな活躍を期待していますか?
「宮田選手には日本でチャンピオンを獲って、それが海外で通用するかしないかという意味で彼にしかわからないプレッシャーがあると思います。日本でチャンピオンを獲ってこんなものかと思われたらマズいという気持ちもプレッシャーになると思うので、そういったプレッシャーをできるだけ感じずに自分の力を100パーセント出し切ってもらって、日本の力というものを証明してもらえたらと思いますね」

⎯⎯他にもこのオフに話題となったのが、ホンダ陣営の期待の若手だった福住仁嶺選手、大湯都史樹選手のトヨタ陣営への移籍です。ホンダ陣営を率いる立場として、このニュースをどのように見ていましたか?
「それぞれの立場で考えるといろいろな意見がありますし、この件に関して僕が偉そうにコメントできる立場にはいないのですが。(苦笑)純粋にドライバー/スポーツ選手として考えると、メーカーを移籍するというのは他メーカーからオファーがあって、自分をより高く評価してくれるのであれば、それは喜ばしいことだと思いますし、移籍自体は僕は悪いことではないと思うんですよ。スポーツ選手として自分の価値をより見出してくれるところに行くというのは、本来あるべき姿だと思います」

「ただ、それはひとつの姿であって、ホンダに思い入れがあって、ホンダのために頑張りたいという選手の姿があってもいいですよね。移籍したふたりは純粋にドライバーとしてスピード、センスを含めてかなりレベルの高い選手であることは間違いないので、その選手が他陣営に行くことで他陣営の層が厚くなる、ライバルを強くしてしまったという意味ではホンダとしては痛手だなと思います」

「ホンダにもレベルの高いドライバーが移籍してくるというような、お互いの陣営での入れ替わりがあり、その選手の価値がより高まっていくのであればそれもひとつ理想的だとも言えますが。それでも、渡辺康治さん(ホンダ・レーシング/HRC社長)もコメントを発表していましたけど、若手にチャンスを与えるとか若手の台頭を期待しているので、それによる新陳代謝ではないですけど、若手が陣営に入ることで僕らベテラン勢への刺激というのも出てくると思います。僕も正直、ベテランの方に代わってデビューさせてもらったからこそ、今のポジションがあるので、今年新たにチャンスをもらった選手には自分の力を発揮して、ホンダ・HRCというメーカーのブランドイメージの向上をしっかりと担ってもらいたいですね。僕も負けないように頑張らないといけないなと思います」

「本当にそれぞれの立場で考えることは変わってきますけど、今回の移籍をホンダが止めなかったというか認めたというのは、悪く聞こえる部分もあるかと思いますが、僕は移籍したいと思っているドライバーの気持ちを尊重して送り出したホンダの気持ちを尊重したいなと思います。僕はホンダが好きですし、ホンダに憧れてホンダと共にここまで駆け抜けて来たので、これからも『いらない』と言われるまではホンダのために尽力したいなと思っています」

 今シーズン、スーパーGT、そしてスーパーフォーミュラの両カテゴリーで完全復活を目指す山本尚貴。大きなアクシデントを乗り越え、これまでの経緯をしっかりと言葉にする姿には強い意志と大きな覚悟が感じられた。まずは1月中に予定されているというGTでのテストドライブで、どのような手応えを感じるのか。ドライバー人生をかけた山本尚貴の2024年シーズンが始まる。

Profile:山本尚貴(やまもとなおき)
1988年7月11日生まれ/栃木県出身。カートで数々に実績を残して四輪にステップアップし、2010年から国内最高峰カテゴリーのスーパーフォーミュラ、スーパーGT500クラスに参戦。スーパーフォーミュラでは3度(2013、2018、2020)、スーパーGTでは2度(2018、2020)にチャンピオンに輝き、2018年、2020年と2度のダブルタイトルを獲得。2019年日本GPではトロロッソ(アルファタウリの前身)から金曜午前のフリー走行1回目(FP1)でF1デビューを果たし、鈴鹿を走行した。2018年に双子の女児が誕生、妻はテレビ東京アナウンサーの狩野恵里さん。

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