1.17直後、被災者の肉声テープ発見 当時のラジオ中継、取材リポーター「伝えなければ」

震災直後のラジオ放送の音源をCD化した三条杜夫さん(左)と息子の祥平さん=神戸市垂水区

 阪神・淡路大震災の発生直後、ラジオ関西(震災当時は神戸市須磨区、現在は同市中央区)で放送された被災地リポートの録音テープが見つかった。「箸一本からそろえなあきません」「家族が焼けて、どこに行ったか…」。29年前、マイクを向けられた被災者の肉声が未曽有の大震災を生々しく伝える。当時リポーターを務め、テープをCD化した放送作家の三条杜夫さん(76)=神戸市垂水区=は「震災を知らない世代にこそ聞いてほしい」と願う。(名倉あかり)

### ■「家族が焼けて…」「箸も茶わんも何もない」

 三条さんが昨年11月、自宅の仕事部屋でカセットテープを見つけた。かつてラジオ関西のリポーターを務めた三条さんは1995年1月の地震直後から被災地を歩き、生中継。後で聞き直して自省するために放送を録音していたという。

 テープには地震発生後約2カ月間の放送の一部が収められていた。冒頭は、避難所だった神戸市長田区の小学校からの中継。ガス工事の仕事に打ち込む50代の被災男性が早口で「箸一本からそろえな」と語る。

 「家もなけりゃ箸も茶わんも何もない。親子4人助かっただけでも幸せ。朝起きて子どもたちの顔見るでしょう。よう助かったなあって。家族があるから、頑張っていかなあかん」

 別の日は、全焼した自宅跡で生活のために硬貨を探しているという50代女性の声。「家族が焼けて…」と少しかれた声で淡々と言葉をつなぐ。

 「近所の赤ちゃん、ご夫婦、中学生、30歳の男性、たくさん亡くなりました。同じように亡くなったほうが楽やったんかと思うわ。目の前が真っ暗」

 「それでも生きていくんやね」。三条さんの問いかけに、女性は「いとこもおばさんも近くでみんな焼けた。でも、腕引っぱって助けてくれた息子のために頑張らな」と応じた。

 三条さんには、忘れられない「におい」もある。大火に見舞われた街で立ち上る煙に消防隊がホースで水をかけると、水蒸気が上がった。言いようのないにおいに、がれきの下にまだ人がいると気付いた。「これは軽々しく人様に伝えるべきではない」。その場で、ただ手を合わせた。

 自身は垂水区で被災。復興していく街の姿に「こんな後戻りさせる話はいらん」と録音テープや資料をほとんど捨てた。思い出すのもつらかったが、2年ほど前、震災を経験していない20代の新聞記者との出会いで「伝えなければ」と気持ちが変わったという。

 見つかったテープは息子で制作ディレクターの祥平さん(34)の協力でデジタル化し、CDにした。三条さんの思いに加え、若い世代にも届くよう祥平さんの解説も入れた。

 「当時の被災者の声から、自分はどう生きるべきかの答えがもらえる」と三条さん。今後は震災当時の写真などを基に記録映画を作ることも計画。CDを希望者に配布(1200円、送料込み)し、記録映画の製作費に充てる。三条さんTEL078.781.7881

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