愛子さま 日本赤十字社ご就職で再注目!中学1年生で書かれた“看護師”小説

23年10月2日、関東大震災での日本赤十字社の活動の企画展をご覧になった(写真:JMPA)

1月22日、宮内庁は愛子さまが学習院大学卒業後の今年4月から日本赤十字社に就職されることを発表した。愛子さまは嘱託職員として勤務される予定で、具体的な仕事内容は入社されてから決まるという。

発表に際して、宮内庁は愛子さまのお言葉も公表している。

《本年4月より日本赤十字社の嘱託職員として勤務することの内定をいただき、ありがたく思っております。日頃から関心を寄せている日赤の仕事に携われることを嬉しく思うと同時に身の引き締まる思いがいたします。これからもさまざまな学びを通じて一社会人として自覚をもって仕事に励むことで微力ではございますが少しでも人々や社会にお役に立つことができればと考えています》

かねてより福祉や救護などの分野に興味を持たれていた愛子さま。ご就職の報道を受けて、愛子さまの原点とも呼べる“短編小説”にも注目が集まっている。2014年、中学1年生のときに愛子さまが学内で執筆されたもので、翌年に学習院女子中等科・女子高等科の生徒に配布された『生徒作品集』(平成26年度版)に掲載された。

物語の主人公は“看護師の愛子”で、愛子さまが当時から命に対する深い慈しみの心をお持ちになっていたことが伺える。

■愛子さまが書かれた物語全文

私は看護師の愛子。最近ようやくこの診療所にも患者さんが多く訪れるようになり、今日の診療も外が暗くなるまでかかった。先生も先に帰り、私は片付けと戸締りを任されて、一人で奥の待合室と手前の受付とを行き来していた。

午後八時頃だろうか。私は待合室のソファーでつい居眠りをしてしまった。翌朝眩しい太陽の光で目が覚め、私は飛び起きた。急いで片付けを済ませて家に帰ろうと扉をガラッと開けると、 思わず落っこちそうになった。目の前には真っ青な海が果てしなく広がっていたのだ。

診療所は、一晩でどの位流されたのだろうか? いや、町が大きな海へと姿を変えてしまったのかもしれない。助けを呼ぼうとしたが、電話もつながらない。私は途方に暮れてしまった。

あくる朝、私は誰かが扉をたたく音で目を覚ました。扉の外には片足を怪我した真っ白なカモメが一羽、今にも潮に流されてしまいそうになって浮かんでいた。私はカモメを一生懸命に手当てした。その甲斐あってか、カモメは翌日元気に、真っ青な大空へ真っ白な羽を一杯に広げて飛び立っていったのであった。

それから怪我をした海の生き物たちが、次々と愛子の診療所へやって来るようになった。私は獣医の資格は持っていないながらも、やって来た動物たちに精一杯の看護をし、時には魚の骨がひっかかって苦しんでいるペンギンを助けてやったりもした。愛子の名は海中に知れ渡り、私は海の生き物たちの生きる活力となっていったのである。そう。愛子の診療所は、正に海の上の診療所となったのだ。

今日も愛子はどんどんやって来る患者を精一杯看病し、沢山の勇気と希望を与えていることだろう。

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